プロローグ:最後の音符
1827年3月26日、ウィーン
激しい雷鳴が鳴り響く中、シュヴァルツシュパーニエルハウスの一室で、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは死の床に横たわっていた。56歳。その痩せこけた体は、かつての威厳ある姿からはかけ離れていた。
部屋の隅では、彼の親友アントン・シンドラーと、甥のカール・ヴァン・ベートーヴェンが静かに見守っていた。窓の外では、稲妻が夜空を引き裂き、雨が激しく窓ガラスを叩いていた。
ベートーヴェンは、かすかに目を開けた。もはや何も聞こえない耳には、雷鳴さえも届かない。しかし、彼の心の中では、壮大な交響曲が鳴り響いていた。
「アントン…」か細い声で、ベートーヴェンはシンドラーを呼んだ。
シンドラーは急いでベッドサイドに駆け寄り、ベートーヴェンの手を取った。
「何でしょうか、先生」
ベートーヴェンは、力を振り絞るように口を開いた。
「私の…交響曲…第10番…」
シンドラーは身を乗り出して、かすれゆく声に耳を傾けた。
「まだ…書ききれていない…」
その時、激しい稲妻が部屋を明るく照らし出した。ベートーヴェンは、突如として体を起こそうとした。その目は、何か遠くのものを見つめているようだった。
「聞こえる…音が…聞こえる!」
カールが慌てて叔父を支えようとしたが、ベートーヴェンは彼の腕をつかみ、力強く言った。
「私には…まだやるべきことが…」
しかし、その言葉と共に、ベートーヴェンの体から力が抜けていった。彼は静かにベッドに横たわり、目を閉じた。
部屋に重苦しい沈黙が流れる。シンドラーとカールは、互いに顔を見合わせた。
その時、不思議なことが起こった。部屋の中に、かすかな音楽が流れ始めたのだ。それは荘厳で力強く、しかし同時に慈愛に満ちた旋律。まるで、ベートーヴェンの魂そのものが音楽となって響いているかのようだった。
シンドラーとカールには、その音楽が聞こえているのかどうか、わからなかった。しかし、二人とも、ある確信めいたものを感じていた。
ベートーヴェンの人生そのものが、一つの壮大な交響曲だったのだと。
窓の外では、嵐が静まり始めていた。新しい朝の光が、静かに部屋の中に差し込んでいた。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの波乱に満ちた人生は、ここに幕を閉じた。しかし、彼の音楽は、これからも世界中の人々の心に響き続けていくのだった。
第1章:厳しい調べ(1770年〜1787年)
1770年12月、ボン
凍えるような寒さの中、ボンの小さな屋根裏部屋に赤子の泣き声が響いた。マリア・マグダレーナ・ヴァン・ベートーヴェンは、汗に濡れた額を拭いながら、生まれたばかりの息子を抱きしめた。
「ルートヴィヒ…」彼女は優しくつぶやいた。「あなたは特別な子になるわ」
部屋の隅では、父ヨハン・ヴァン・ベートーヴェンが不安そうに立っていた。宮廷歌手としての彼の収入は決して多くなく、新しい家族を養っていけるかどうか不安だった。
「音楽だ」ヨハンは突然言った。「この子を音楽の天才に仕立て上げてみせる」
マリアは心配そうに夫を見つめた。彼女には、ヨハンの目に浮かぶ異常な輝きが見えた。
…
1775年、ボン
5歳のルートヴィヒは、ピアノの前に座っていた。小さな指が鍵盤の上を走り、メロディーを奏でる。しかし、突然の不協和音に、彼は顔をしかめた。
「違う!」ヨハンの怒鳴り声が部屋中に響き渡る。「もう一度だ!」
ルートヴィヒは震える手で再び弾き始めた。ヨハンは息子の横に立ち、厳しい目で見守っている。
「もっと感情を込めろ!お前はモーツァルトを超えなければならないんだ!」
長時間の練習が続く。外では他の子供たちが楽しそうに遊ぶ声が聞こえるが、ルートヴィヒにはその自由はない。
深夜、疲れ果てたルートヴィヒがようやくベッドに横たわったとき、母マリアが優しく毛布をかけてくれた。
「よくがんばったわ、ルートヴィヒ」彼女は息子の額にキスをした。「あなたの音楽は、きっと多くの人を幸せにするわ」
ルートヴィヒは母の言葉に小さくうなずいた。厳しい父の下での練習は辛かったが、音楽を奏でるときの喜びは何物にも代えがたかった。
…
1781年、ボン
11歳のルートヴィヒは、ボン選帝侯の宮廷でオルガン奏者としてデビューした。観客は若きオルガニストの才能に驚嘆し、大きな拍手が沸き起こった。
演奏が終わると、クリスティアン・ゴットロープ・ネーフェがルートヴィヒに近づいてきた。彼はボンで最も尊敬される音楽教師の一人だった。
「君の才能は本物だ」ネーフェは微笑んだ。「私が君の教育を引き受けよう」
ルートヴィヒの目が輝いた。ネーフェの指導の下で、彼の才能は急速に開花していった。
…
1787年、ウィーン
17歳のルートヴィヒは、心臓が高鳴るのを感じながら、ウィーンの街を歩いていた。彼の目的地は、偉大な作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの邸宅だった。
モーツァルトの前で演奏する機会を得たルートヴィヒは、全身全霊を込めて即興演奏を披露した。演奏が終わると、部屋に沈黙が流れた。
モーツァルトはしばらくの間、若きピアニストを見つめていた。そして突然、隣の部屋にいた人々に向かって叫んだ。
「この若者に注目するのだ。いつの日か、彼は世界を驚かせることになるだろう」
ルートヴィヒの胸に、大きな誇りと決意が湧き上がった。彼はこの瞬間を、生涯忘れることはなかった。
しかし、その喜びもつかの間、ボンから悲報が届く。母マリアが重病だという。ルートヴィヒは急いでボンに戻ることを決意した。彼の心には、音楽への情熱と、愛する母への心配が交錯していた。
ウィーンを後にする若きベートーヴェンは、いつかまた必ずこの地に戻り、音楽の世界を征服すると心に誓った。彼の人生の新たな章が、今まさに始まろうとしていた。
第2章:新天地への序曲(1787年〜1792年)
1787年7月、ボン
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、母マリアのベッドサイドに座っていた。彼女の顔は蒼白で、痩せこけていた。結核の進行は止まるところを知らなかった。
「ルートヴィヒ…」マリアは弱々しく息子の手を握った。「あなたの音楽を…聴かせて」
ルートヴィヒは黙ってうなずき、部屋の隅にあるピアノに向かった。彼の指が鍵盤に触れた瞬間、部屋中に美しい旋律が溢れ出した。それは悲しみに満ちていながら、どこか希望の光を感じさせる曲だった。
演奏が終わると、マリアの目には涙が光っていた。
「素晴らしいわ…」彼女は微笑んだ。「あなたの音楽は、きっと多くの人の心を癒すわ」
その言葉が、マリアが息子に残した最後の言葉となった。数日後、彼女は静かに息を引き取った。
ルートヴィヒの心に、大きな空虚感が広がった。
…
1788年、ボン
母の死後、ベートーヴェン家の状況は急速に悪化していった。父ヨハンはアルコールに溺れ、仕事もままならない。17歳のルートヴィヒは、家族を支えるために必死だった。
ある晩、酔っ払って帰宅したヨハンは、ルートヴィヒに向かって怒鳴った。
「お前は何もわかっちゃいない!お前のような才能なんて、この世界では何の役にも立たないんだ!」
ルートヴィヒは父の言葉に傷つきながらも、黙って耐えた。しかし、彼の心の中では、音楽への情熱が燃え続けていた。
…
1790年、ボン
20歳になったルートヴィヒは、ボン宮廷楽団のヴィオラ奏者として認められるようになっていた。彼の才能は、多くの人々の注目を集めていた。
その中の一人が、伯爵フェルディナント・ヴァルトシュタイン。彼はルートヵィヒの才能を高く評価し、支援を申し出た。
「君の才能は、ボンという小さな町に留まるには惜しすぎる」ヴァルトシュタイン伯爵は言った。「ウィーンで学ぶべきだ。そこにはハイドンがいる」
ルートヴィヒの目が輝いた。ウィーン。音楽の都。そこで学べる可能性に、彼の心は高鳴った。
…
1792年11月、ボン
出発の日。ルートヴィヒは、弟たちと向き合っていた。
「カスパルとヨハン、聞いてくれ」彼は真剣な表情で言った。「僕がいない間、父の面倒を見てくれ。そして…音楽を忘れるな」
弟たちは黙ってうなずいた。
ルートヴィヒは最後に、母の墓前に立った。
「母さん…」彼は静かに呟いた。「僕は行ってきます。きっと、母さんの言葉通り、多くの人を幸せにする音楽を作ってみせます」
そして彼は、ウィーンに向かう馬車に乗り込んだ。馬車が動き出すと、ルートヴィヒは窓から外を見つめた。ボンの街並みが徐々に遠ざかっていく。
彼の心には、不安と期待が入り混じっていた。しかし、一つだけ確かなことがあった。これから始まる新しい人生で、彼は全身全霊を音楽に捧げるのだと。
馬車は、夜明けの光の中を走り続けた。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの新たな旅が、今始まろうとしていた。
第3章:才能の開花(1792年〜1800年)
1792年11月、ウィーン
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、ウィーンの喧騒に圧倒されていた。街のあちこちから音楽が聞こえてくる。カフェではモーツァルトの曲が流れ、教会からはグレゴリオ聖歌が漂ってくる。
「これが音楽の都か…」彼は心の中でつぶやいた。
ベートーヴェンの目的地は、ヨーゼフ・ハイドンの家だった。ハイドンは当時、ヨーロッパで最も尊敬される作曲家の一人。彼から学べることに、ベートーヴェンの心は高鳴っていた。
ハイドンの家の前に立ち、深呼吸をして扉をノックする。
「お待ちしておりました、ベートーヴェン君」ハイドンは温かく迎え入れた。「さあ、君の音楽を聴かせてくれたまえ」
ベートーヴェンは用意してきた楽譜を広げ、ピアノの前に座った。彼の指が鍵盤に触れた瞬間、部屋中が音楽で満たされた。
演奏が終わると、ハイドンは深く感銘を受けた様子で言った。
「君の才能は本物だ。私が責任を持って指導しよう」
…
1793年、ウィーン
ベートーヴェンのウィーンでの評判は急速に広まっていった。彼のピアノ演奏と即興能力は、貴族のサロンで話題となっていた。
ある晩のサロンコンサートで、ベートーヴェンは有名なピアニスト、ダニエル・シュテイベルトと即興演奏の対決をすることになった。
緊張しながらもピアノに向かったベートーヴェン。彼の指が鍵盤を走り、複雑で情熱的な旋律が次々と生み出されていく。観客は息を呑んで聴き入った。
演奏が終わると、会場は熱狂的な拍手に包まれた。シュテイベルトは顔を赤らめ、静かに部屋を後にした。
この夜以降、ベートーヴェンの名声は一気に高まった。
…
1795年、ウィーン
ベートーヴェンは、アントニオ・サリエリの指導も受けるようになっていた。サリエリは彼の才能を高く評価し、特に声楽作品の作曲技法を教えた。
「音楽は感情を表現する芸術だ」サリエリは言った。「技巧だけでなく、心を込めて作曲することを忘れるな」
ベートーヴェンは、サリエリの言葉を胸に刻んだ。
…
1798年、ウィーン
ベートーヴェンは、初めての出版作品集「3つのピアノトリオ 作品1」を完成させた。この作品は、音楽界に大きな衝撃を与えた。
「これは革命的だ!」と評論家たちは絶賛した。「モーツァルトやハイドンの伝統を受け継ぎながら、全く新しい音楽を生み出している」
ベートーヴェンは、自分の音楽が認められていることに喜びを感じつつ、さらなる高みを目指して作曲に打ち込んだ。
…
1799年、ウィーン
ある朝、ベートーヴェンは奇妙な感覚に襲われた。耳の中で、かすかな鳴りが聞こえる。最初は気にしなかったが、日に日にその音は大きくなっていった。
「これは…」彼は不安を感じ始めた。
ある日の演奏会で、ピアノを弾いていると突然、音が歪んで聞こえ始めた。ベートーヴェンは動揺を隠しながら、何とか演奏を終えた。
舞台袖で、彼は冷や汗を流していた。
「これが続けば…音楽家として…」
恐怖が彼の心を覆った。しかし、すぐに彼は首を振って否定した。
「いや、どんなことがあっても音楽は諦めない。これは一時的なものに違いない」
ベートーヴェンは、この不安を誰にも打ち明けなかった。そして、さらに情熱を込めて作曲に打ち込んだ。
1800年、彼は交響曲第1番を完成させた。この作品は、彼の新たな挑戦の始まりだった。しかし同時に、彼の内なる闘いの始まりでもあった。
ベートーヴェンは、誰にも気付かれないように耳に手を当てながら、ウィーンの街を歩いた。彼の心には、音楽への情熱と、聴力を失うかもしれないという恐怖が交錯していた。
第4章:苦悩と栄光(1800年〜1808年)
1802年10月、ウィーン郊外ハイリゲンシュタット
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、小さな机に向かって必死に文字を綴っていた。部屋の窓からは、黄金色に染まった秋の風景が見える。しかし、彼の心は暗く沈んでいた。
「ああ、人々よ」彼は書いた。「私をなんと不幸で、なんと酷薄な男と思うことだろう…」
これは後に「ハイリゲンシュタットの遺書」として知られることになる文書だった。ベートーヴェンは、進行する聴力喪失に絶望し、自殺さえ考えていた。
「しかし、私の芸術が私を引き留めた」彼は続けて書いた。「ああ、私には自分の使命を全うせずにこの世を去ることなど到底できなかった」
ペンを置き、彼は深く息をついた。窓の外を見ると、一羽の鳥が空高く舞い上がっていくのが見えた。その姿に、彼は何かを感じ取った。
「そうだ」彼は呟いた。「私は飛び立たねばならない。この苦しみを超えて…」
…
1803年、ウィーン
ベートーヴェンは、新しい交響曲の構想に没頭していた。彼の心は、フランス革命の理想と、その理想を体現すると信じていたナポレオン・ボナパルトへの賛美で満ちていた。
「この作品は、人類の自由と平等、博愛の理想を音楽で表現するのだ」彼は興奮気味に友人のフェルディナント・リースに語った。
しかし、作曲の最中にショッキングなニュースが飛び込んできた。ナポレオンが皇帝を名乗ったのだ。
「裏切り者め!」ベートーヴェンは激怒し、交響曲の表紙に書いてあった「ボナパルト」の文字を激しく消し去った。「結局、あいつも他の独裁者と同じだったのか!」
怒りと失望を胸に、彼は作品を「英雄交響曲」と名付け、1804年に完成させた。
初演の日、会場は熱狂の渦に包まれた。観客は立ち上がって喝采を送り、中には感動のあまり涙を流す者もいた。
ベートーヴェンは、その喝采をほとんど聞くことができなかった。しかし、観客の表情を見て、自分の音楽が人々の心に届いたことを感じ取った。
…
1805年、ウィーン
ベートーヴェンは、若く美しい伯爵令嬢ジュリエッタ・グイチャルディに深く恋をしていた。彼女のために、彼は魂を込めてピアノソナタ「月光」を作曲した。
「ジュリエッタ、君への私の想いはこの音楽に込められている」彼は告白した。
しかし、身分の違いは大きすぎた。ジュリエッタは別の貴族と結婚することになり、ベートーヴェンの心は深く傷ついた。
「なぜだ…」彼は絶望的に呟いた。「私には音楽しかないのか…」
その後、彼は自分の感情を音楽に昇華させ、より深みのある作品を生み出していった。
…
1808年12月、ウィーン
寒風が吹きすさぶ中、ベートーヴェンは劇場に向かっていた。この日は、彼の新作、交響曲第5番「運命」と第6番「田園」の初演の日だった。
舞台に立つと、彼は深く息を吐いた。もはや、自分の音楽をはっきりと聴くことはできない。しかし、心の中では完璧な音が鳴り響いていた。
指揮棒を上げると、劇場は静寂に包まれた。そして、あの有名な「運命の音楽」が鳴り響いた。
“ダダダ・ダーン!”
観客は息を呑んだ。この音楽は、まるで運命の扉を叩く音のようだった。
演奏が進むにつれ、ベートーヴェンは自分の内なる音楽に没頭していった。彼の体は音楽と一体化し、激しく動いていた。
演奏が終わると、会場は熱狂的な拍手に包まれた。しかし、ベートーヴェンにはその拍手はほとんど聞こえなかった。彼が見たのは、感動で涙を流す観客の姿だった。
その夜、一人になったベートーヴェンは窓際に立ち、星空を見上げた。
「私は…まだ飛び続けることができる」彼は静かに呟いた。「この苦しみを超えて、さらに高みへ…」
彼の心には、まだ書かれていない数々の傑作が、静かに、しかし力強く鳴り響いていた。
第5章:孤高の道(1808年〜1815年)
1809年5月、ウィーン
砲声が鳴り響く中、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは地下室で身を縮めていた。ナポレオン軍のウィーン侵攻が始まったのだ。
「くそっ、この音で…」彼は苦悶の表情を浮かべた。激しい砲撃音が、彼の脆弱な聴覚を更に傷つけていく。
しかし、その中でも彼の頭の中では新しい音楽が鳴り響いていた。後に「弦楽四重奏曲第10番『ハープ』」として知られることになる作品だ。
「戦争も、この音楽を止めることはできない」彼は決意を新たにした。
砲撃が収まると、ベートーヴェンは急いで楽譜を広げ、閃いたメロディーを書き留めた。混沌の中にあっても、彼の創造力は衰えることを知らなかった。
…
1810年、ウィーン
「皇帝」。ベートーヴェンは、新しいピアノ協奏曲にそう名付けた。
「ナポレオンへの献呈ではありませんよ」彼は友人に説明した。「これは音楽そのものが持つ威厳を表現しているのです」
初演の日、会場は息を呑むほどの静寂に包まれた。そして、壮大な音楽が鳴り響き始めた。
観客の中に、若い女性がいた。テレーゼ・マルファッティ。ベートーヴェンは彼女に密かな想いを寄せていた。
演奏が終わると、テレーゼは興奮した様子でベートーヴェンに近づいてきた。
「素晴らしい演奏でした、ベートーヴェン先生!」
彼は微笑んだが、彼女の言葉を正確に聞き取ることはできなかった。ただ、彼女の輝く目を見て、その意味を理解したのだ。
「ありがとう、テレーゼ」彼は答えた。しかし、彼の心は重かった。進行する聴力喪失が、彼と他者との距離を広げていくのを感じていた。
…
1812年7月、テプリッツ
ベートーヴェンは、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテと散歩をしていた。二人の巨匠の出会いだ。
「音楽は、言葉を超えた表現ですね」ゲーテが言った。
ベートーヴェンは頷いた。「そして、音楽は魂の言語なのです」
その時、皇帝一家の馬車が通りかかった。ゲーテは深々と頭を下げたが、ベートーヴェンは毅然とした態度を崩さなかった。
「なぜ頭を下げないのかね?」ゲーテが驚いて尋ねた。
ベートーヴェンは答えた。「彼らこそ、私たちに頭を下げるべきです。王侯は何千人でもいますが、ベートーヴェンとゲーテは一人しかいないのですから」
…
1815年11月、ウィーン
ベートーヴェンの弟カスパルが亡くなった。そして、彼に新たな責任が降りかかる。甥のカール・ヴァン・ベートーヴェンの後見人となったのだ。
「カール、これからは私が君の父親代わりだ」ベートーヴェンは真剣な表情で9歳の甥に告げた。
しかし、カールの母親ヨハンナも親権を主張。激しい法廷闘争が始まった。
ベートーヴェンは苦悩した。「音楽に没頭したい。しかし、カールのためにも闘わねばならない」
この頃、彼の聴力はほぼ完全に失われていた。会話は筆談でしか行えず、演奏会にも出られなくなっていた。
ある夜、ピアノの前に座ったベートーヴェン。指が鍵盤を叩く。しかし、音は聞こえない。ただ、心の中で音楽が鳴り響くだけだ。
涙が彼の頬を伝った。しかし、その瞬間、彼は決意を新たにした。
「聴こえなくとも、私には音楽がある。この魂の中に…」
彼は再び作曲を始めた。聴覚を失っても、彼の内なる音楽は決して止むことはなかった。それどころか、より深く、より壮大なものへと変化していったのだ。
第6章:内なる闘争(1815年〜1824年)
1816年、ウィーン
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、裁判所の冷たい廊下に立っていた。彼の横には10歳の甥カールがいる。対面には、カールの母ヨハンナが怒りの眼差しを向けていた。
「カールは私が育てます」ベートーヴェンは断固とした態度で言った。「彼には最高の教育を受けさせ、立派な大人に育てあげるつもりです」
ヨハンナは激しく反論した。「あなたに何がわかるというの?音楽のことしかわからない聾唖者に、子育てなんてできるはずがない!」
その言葉は、ベートーヴェンの心を深く傷つけた。しかし、彼は動じなかった。
裁判官は両者の言い分を聞き、最終的にベートーヴェンに親権を与えた。
カールの手を取り、裁判所を後にするベートーヴェン。彼の心は決意と不安が入り混じっていた。
「カール、私は君のためなら何でもする」彼は甥に向かって言った。しかし、カールの表情は複雑で、何を考えているのかわからなかった。
…
1818年、ウィーン
ベートーヴェンは、新しいピアノソナタの作曲に没頭していた。後に「ハンマークラヴィーア」として知られることになる大作だ。
彼の耳はもはや何も聞こえない。しかし、心の中では壮大な音楽が鳴り響いていた。
「この作品で、音楽の新しい地平を切り開いてみせる」彼は独り言を呟いた。
その時、ドアが乱暴に開いた。12歳になったカールが飛び込んできた。
「おじさん!僕、もう我慢できない!」カールは叫んだ。「友達と遊ぶことも許してくれない。いつも勉強ばかり。僕は囚人じゃない!」
ベートーヴェンは、カールの口の動きを必死に読み取ろうとした。しかし、興奮したカールの言葉を理解するのは難しかった。
「落ち着くんだ、カール」ベートーヴェンは静かに言った。「私はお前のためを思って…」
しかし、カールは既に部屋を飛び出していた。
ベートーヴェンは深いため息をついた。音楽の世界では天才でも、人間関係では常に困難を抱えていた。
…
1820年、ウィーン
ベートーヴェンは、「ミサ・ソレムニス」の作曲に取り組んでいた。この大作は、彼の魂の深みから湧き出る信仰と人間性への洞察を表現するものだった。
作曲の合間、彼は会話帳を手に取った。これは、他人とコミュニケーションを取るための唯一の手段となっていた。
ページをめくると、友人のシンドラーが書いた言葉が目に入った。
「先生、あなたの新作は素晴らしい。しかし、現代の聴衆には難解すぎるのではないでしょうか?」
ベートーヴェンは苦笑した。彼は鉛筆を取り、こう書いた。
「私は同時代の人々のために書いているのではない。後世のために書いているのだ」
…
1824年5月7日、ウィーン
ケルントナートーア劇場は、興奮した観客で溢れていた。ベートーヴェンの新作、交響曲第9番「合唱」の初演の日だった。
指揮台に立つベートーヴェン。彼には音が聞こえない。しかし、心の中では完璧な音楽が鳴り響いていた。
演奏が始まり、会場は息を呑んだ。第4楽章で「歓喜の歌」が鳴り響いた時、観客は感動のあまり総立ちになった。
ベートーヴェンは、自分の音楽を聴くことはできなかった。しかし、観客の表情を見て、彼は自分の音楽が人々の心に届いたことを感じ取った。
演奏が終わっても、ベートーヴェンは興奮した観客に気づかなかった。アルトソロを歌ったカロリーネ・ウンガーが彼の肩に触れ、振り向かせた。
そこで初めて、ベートーヴェンは観客の熱狂的な反応を目にした。涙があふれ出た。
その夜、一人になったベートーヴェンは窓際に立ち、星空を見上げた。
「私の音楽は、この世界を超えて響いているのかもしれない」彼は静かに呟いた。
彼の心には、まだ生まれていない音楽が、静かに、しかし力強く鳴り響いていた。
第7章:最後の凱歌(1824年〜1827年)
1824年晩秋、ウィーン
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、書斎の窓辺に立っていた。54歳。外では紅葉した葉が風に舞っている。彼にはその音は聞こえないが、心の中では新しい音楽が静かに形を成していた。
「まだ…終わりではない」彼は呟いた。
ペンを取り、楽譜に向かう。これが後に「弦楽四重奏曲第14番」として知られることになる作品の始まりだった。
その時、甥のカールが部屋に入ってきた。18歳になった彼は、叔父との関係に苦悩していた。
「おじさん」カールは会話帳に書いた。「大学に行きたいんです」
ベートーヴェンは厳しい表情を浮かべた。「音楽の道を歩むべきだ」
カールは首を振った。「僕には音楽の才能はありません。自分の道を見つけたいんです」
ベートーヴェンは深いため息をついた。彼は甥を愛していたが、理解することは難しかった。
…
1825年8月、ウィーン近郊
真夏の暑さの中、ベートーヴェンは静養先の別荘で新作に没頭していた。「弦楽四重奏曲第15番」。この作品には、彼の魂の深みから湧き出る感謝の念が込められていた。
「神聖な感謝の歌」と題された緩徐楽章を書きながら、彼は人生を振り返っていた。苦難の連続だったが、音楽という贈り物があったことへの感謝の念が彼を包み込んだ。
その時、急な腹痛に襲われた。「これも試練の一つか」彼は苦笑した。しかし、この病が彼の最期につながることになるとは、まだ知る由もなかった。
…
1826年7月、ウィーン
ベートーヴェンの体調は日に日に悪化していた。しかし、彼の創作意欲は衰えることを知らなかった。
「弦楽四重奏曲第16番」。これが彼の最後の完成作品となる。
楽譜に向かいながら、突然の物音に彼は振り向いた。カールが血相を変えて部屋に飛び込んできたのだ。
「自殺…しようとした」カールは震える手で会話帳に書いた。
ベートーヴェンは愕然とした。彼は甥を強く抱きしめた。言葉は必要なかった。
この出来事を機に、二人の関係は少しずつ変わり始めた。ベートーヴェンは初めて、カールの思いに耳を傾けようとした。
…
1827年3月、ウィーン
雷鳴が轟く中、ベートーヴェンは死の床に横たわっていた。
カールと親友のシンドラーが見守る中、彼は最後の力を振り絞って言葉を発した。
「聞こえる…天国の調べが…」
そして、1827年3月26日、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは永遠の眠りについた。
…
1827年3月29日、ウィーン
ベートーヴェンの葬儀の日。推定2万人もの人々が通りに溢れ、偉大な音楽家の最後の旅路を見送った。
弔辞の中で、詩人のフランツ・グリルパルツァーはこう語った。
「彼が去ったいま、我々は皆、巨人の足音が遠ざかるのを聞いているのだ」
…
1827年、ウィーン
ベートーヴェンの遺品整理をしていたシンドラーは、一通の手紙を見つけた。宛先は「不滅の恋人」とあった。日付も場所も書かれていない。
誰に宛てた手紙なのか。テレーゼ・マルファッティか、ヨゼフィーネ・ブルンスヴィックか。それとも全く別の人物か。
この謎は、ベートーヴェンと共に永遠の眠りについた。
…
2024年、世界中の様々な場所
ベートーヴェンの死から200年近くが経った今も、彼の音楽は世界中で演奏され、人々の心を動かし続けている。
コンサートホールでは「第九」が鳴り響き、街角では「エリーゼのために」がBGMとして流れる。
そして、どこかの小さな部屋で、一人の少年が初めてベートーヴェンの楽譜に触れ、その音楽の魅力に引き込まれていく。
ベートーヴェンの魂は、彼の音楽と共に生き続けている。彼が夢見た「普遍的な兄弟愛」の理想は、今も人々の心に響き渡っているのだ。