コルカタの聖女 – マザーテレサ自伝
第1章:アルバニアの少女
私の名前はアグネス・ゴンジャ・ボヤジュ。1910年8月26日、アルバニアのスコピエで生まれました。私たち家族は裕福ではありませんでしたが、愛に満ちた家庭で育ちました。父のニコラは建築業を営み、母のドランフィレは優しく賢明な女性でした。兄のラザルと姉のアゲには、いつも面倒を見てもらいました。
幼い頃から、両親から愛情深く育てられ、特に母からは困っている人を助けることの大切さを教わりました。母はよく近所の貧しい人々に食べ物を分け与え、私もそれを手伝いました。
「アグネス、人は皆、神様の子どもよ。だから、困っている人を助けることは、神様の愛を実践することなの」
母のこの言葉は、幼い私の心に深く刻まれました。
ある日、学校から帰る途中、道端で物乞いをしている老人を見かけました。その老人の姿は痩せこけ、服はぼろぼろでした。私は少し怖くなって母の手を握りしめました。
「アグネス、あの人に何かしてあげられないかしら?」母が私に尋ねました。
私は少し考えて、「はい、お母さん」と答えました。そして、ランドセルからお気に入りのりんごを取り出し、恐る恐るその老人に近づきました。
「おじいさん、これ、食べてください」
私は震える手でりんごを差し出しました。老人は最初、驚いたような顔をしていましたが、すぐに優しい笑顔を見せてくれました。
「ありがとう、小さな天使さん。神様があなたを祝福してくださいますように」
老人は涙ぐみながら、そう言ってりんごを受け取りました。その瞬間、私の心の中で何かが動きました。人を助けることの喜びを、初めて実感したのです。
「お母さん、あの人が喜んでくれて、私もうれしいわ」
母は優しく微笑んで、「そうよ、アグネス。人を助けることは、自分の心も豊かにするのよ。これからも、困っている人を見かけたら、できることをしてあげなさいね」と教えてくれました。
この経験は、後の私の人生に大きな影響を与えることになりました。それからというもの、私は積極的に人々を助けるようになりました。学校の友達が宿題で困っていれば手伝い、道で迷子の子猫を見つければ家に連れて帰り、近所のお年寄りの買い物を手伝ったりしました。
そんな私を見て、父は時々冗談を言いました。
「アグネス、お前は大きくなったら聖人様になるのかな?」
その度に私は笑って答えました。
「違うわ、お父さん。私はただ、みんなを幸せにしたいだけよ」
しかし、私の心の中では、徐々に大きな夢が育ちつつありました。もっと多くの人々を助けたい、世界中の困っている人々のために何かをしたい。そんな思いが、日に日に強くなっていったのです。
第2章:神の呼び声
時が流れ、私は18歳になりました。そして、大きな決断をしました。シスターになるのです。家族や友人たちは驚きましたが、私の決意は固かったのです。
「アグネス、本当にそれでいいの?」父が心配そうに聞きました。父の目には不安と寂しさが浮かんでいました。
「はい、お父さん。私にはっきりとした使命感があるの。神様が私を必要としている人々のもとへ導いてくださると信じています」と答えました。
母は黙って私を抱きしめ、こう言いました。「あなたの幸せが私たちの幸せよ。神様があなたを守ってくださいますように」
兄のラザルは最初、反対していました。「妹よ、まだ若すぎる。もっと人生を楽しんでからでも遅くないんじゃないか?」
でも、私の決意を知ると、彼も最後には理解してくれました。「お前の勇気を誇りに思うよ。困ったことがあったら、いつでも兄さんを頼ってくれ」
姉のアゲは、私の荷物をまとめるのを手伝ってくれました。「アグネス、あなたは特別な人よ。きっと素晴らしいシスターになれるわ」
アイルランドのダブリンにある修道院に向かう日、家族との別れは辛かったです。駅のホームで、私は家族一人一人を抱きしめました。
「みんな、ありがとう。私、きっと立派なシスターになって戻ってくるわ」
涙をこらえながら、私は列車に乗り込みました。窓から見える家族の姿が小さくなっていく中、私の心は不安と期待で一杯でした。
修道院での生活は厳しいものでした。毎日の祈りと学び、そして奉仕活動。朝は早く、日中は忙しく、夜は遅くまで勉強しました。時には挫けそうになることもありましたが、神様への信仰が私を支えてくれました。
ある日、私は修道院の庭で黙想をしていました。突然、心の中で声が聞こえたような気がしました。
「アグネス、あなたには特別な使命がある」
その夜、私は夢を見ました。インドの街で、貧しい人々に囲まれている自分の姿でした。その人々の目は希望に満ちていて、私に何かを求めているようでした。その夢は、とても鮮明で、心に深く刻まれました。
翌朝、修道院長のシスター・マリアに夢のことを話しました。
「アグネス、それは神様からのメッセージかもしれませんね。あなたの中に、特別な使命が芽生えているのかもしれません」とシスター・マリアは言いました。
その言葉を聞いて、私の心は確信に満ちました。インドこそが、私の使命の地なのだと。それからというもの、私はインドについて学び始めました。その文化、言語、そして人々の暮らしについて、できる限りの情報を集めました。
「シスター・マリア、私、インドに行きたいのです」
私は勇気を出して、シスター・マリアに願い出ました。
「アグネス、それは大変な決断ね。でも、あなたの目の輝きを見ていると、それが神様の意志なのかもしれないと感じるわ。私から上の方に相談してみましょう」
そして数週間後、私の願いは叶えられることになりました。インドへの派遣が決まったのです。
第3章:コルカタへの旅立ち
1929年、私はついにインドへと旅立ちました。船旅は長く、時には不安も感じましたが、新しい使命への期待が私を前に進ませてくれました。船上で、私は毎日、インドの言葉であるベンガル語の勉強をしました。
「ナマステ(こんにちは)」「ダンニョバド(ありがとう)」
これらの言葉を繰り返し練習しながら、未知の土地での生活に思いを馳せました。
船が港に近づくにつれ、私の心臓の鼓動は早くなりました。そして、ついにコルカタの港が見えてきました。
港に降り立った瞬間、その光景に圧倒されました。街は活気に満ちていましたが、同時に想像以上の貧困がありました。色とりどりのサリーを着た女性たち、裸足で走り回る子どもたち、道端で物売りをする人々。そして、至る所にある貧困の痕跡。
「これが私の新しい家になるのね」と、私は心の中でつぶやきました。
最初の数ヶ月は、言葉の壁や文化の違いに戸惑うことも多くありました。食事は口に合わないし、気候は想像以上に暑く湿気が多い。そして何より、周りの人々とうまくコミュニケーションが取れないもどかしさがありました。
ある日、買い物に出かけた私は、道に迷ってしまいました。不安になって立ち尽くしていると、一人の老婆が声をかけてきました。
「どうしたの、お嬢さん?迷子かい?」
私は拙いベンガル語で答えました。「ハ、ハイ…ワタシ、ミチ、ワカリマセン」
すると老婆は優しく微笑み、「大丈夫よ。私が案内してあげるわ」と言って、私を目的地まで連れて行ってくれました。
この経験を通じて、私はコルカタの人々の温かさを実感しました。言葉が通じなくても、心は通じ合えるのだと。この発見は、私に大きな勇気を与えてくれました。
それからというもの、私は積極的に地域の人々と交流するようになりました。市場で買い物をする時は、店主と会話を楽しみ、道を歩く時は挨拶を交わすようにしました。少しずつですが、コルカタの生活に慣れていきました。
ある日、スラム街を歩いていると、路上で横たわる病人を見つけました。痩せこけた体で、苦しそうに呼吸をしています。
「大丈夫ですか?」と声をかけましたが、返事はありません。
近くにいた人に尋ねると、「あの人はもう何日も食べていないんです。誰も助けてくれないから」と教えてくれました。
その瞬間、私の中で何かが変わりました。「こんな状況を、このまま見過ごすわけにはいかない」と強く感じたのです。
すぐに近くの病院に走り、医者を連れてきました。その人は一命を取り留め、数日後には回復の兆しを見せ始めました。
「シスター、ありがとう。あなたが来てくれなかったら、私は死んでいたでしょう」
その人の言葉に、私は深い使命感を覚えました。「これが、神様が私に与えてくださった使命なのかもしれない」と思ったのです。
第4章:スラムでの決意
修道院での教師の仕事は充実していました。生徒たちは熱心に学び、私も彼らに多くのことを教えることができました。しかし、私の心は常にスラムの人々のことを考えていました。
教室の窓から見える遠くのスラム。そこには、学校に来ることすらできない子どもたちがたくさんいるのです。
ある日の授業中、一人の生徒が質問しました。
「シスター・テレサ、なぜスラムの子どもたちは学校に来ないのですか?」
私は一瞬言葉に詰まりました。そして、ゆっくりと答えました。
「彼らも学びたいと思っているのよ。でも、貧しくて学校に来られないの。家族を助けるために働かなければならない子もいるわ」
その日から、私の中で何かが変わり始めました。もっと直接的に、スラムの人々を助けたいという思いが強くなっていったのです。
数週間後、私は大きな決断をしました。修道院長のシスター・マリアのもとを訪ね、私の思いを伝えました。
「シスター・マリア、私はスラムで働きたいのです。あそこには、私たちの助けを必要としている人がたくさんいます」
シスター・マリアは驚いた様子でしたが、私の目を見つめ、こう言いました。
「アグネス、それは大変な決断ね。でも、あなたの目に決意の色が見えるわ。それが神様の導きだと感じるのなら、その道を進みなさい」
シスター・マリアの言葉に、私は勇気づけられました。
「ありがとうございます、シスター・マリア。私、精一杯頑張ります」
1946年、私はついにスラムでの活動を始めました。最初は、道端で簡単な読み書きを教えることから始めました。
ある日の朝、私はいつものように路上の小さな空き地に座り、周りの子どもたちに声をかけました。
「おはようございます。今日は『A』の書き方を学びましょう」
子どもたちは目を輝かせて、地面に棒切れで文字を書く練習をしました。その姿を見て、私は胸が熱くなりました。
「シスター、僕も『A』が書けたよ!」と、一人の少年が嬉しそうに叫びました。
「素晴らしいわ!あなたはとても賢い子ね」と、私は彼をほめました。
しかし、困難も多くありました。食べ物や薬が不足し、多くの人が病気で苦しんでいました。
ある日、路地裏で重病の女性を見つけました。彼女は高熱で苦しんでいました。
「大丈夫よ、あなたは一人じゃないわ」と声をかけながら、私は彼女を近くの病院に運びました。
病院の医師は、最初は難色を示しました。「この人は支払いができません。私たちには治療する義務はありません」
しかし、私は諦めませんでした。「お願いします、ドクター。この人の命を救ってください。費用は私が何とかします」
医師は渋々同意し、女性の治療を始めました。数日後、女性の容態は安定し、彼女は涙ながらに私に感謝しました。
「シスター、あなたは私の命の恩人です。どうお礼を言えばいいのかわかりません」
「あなたが元気になったことが、私にとって最高のお礼よ」と、私は答えました。
その時、私は決意しました。「この人たちのために、もっと組織的な支援が必要だわ。一人では限界がある。仲間を集めて、大きな力にしなければ」
第5章:ミッショナリーズ・オブ・チャリティーの誕生
1950年、私はミッショナリーズ・オブ・チャリティーを設立しました。最初は小さな団体でしたが、徐々に仲間が増えていきました。
設立当初、私たちの活動拠点は古い建物の一室でした。雨漏りがする屋根、ぐらつく床。でも、それでも私たちは希望に満ちていました。
新しい仲間たちを前に、私はこう語りかけました。
「私たちの使命は、最も貧しい人々に愛と希望をもたらすことです。それは簡単なことではありません。でも、一人一人の小さな行動が、大きな変化を生み出すのです」
活動は順調に広がっていきました。路上生活者のための給食、孤児の世話、病人の看護。私たちは日々、忙しく働きました。
しかし、時には批判の声もありました。ある日、地元の新聞記者が私たちの活動を取材に来ました。
「シスター・テレサ、なぜそんなに自分を犠牲にするのですか?あなたの人生は苦しいだけではありませんか?」と、その記者は尋ねました。
私は微笑んで答えました。「これは犠牲ではありません。愛する人のために尽くすことは、喜びなのです。私は毎日、神様の愛を実感しています」
記者は少し驚いた様子でしたが、うなずいて私の言葉をメモに取りました。
団体が大きくなるにつれ、様々な困難も増えました。資金不足や、時には政治的な障害もありました。
ある時期、地元の政治家が私たちの活動に圧力をかけてきました。「外国人が勝手なことをしている」と非難されたのです。
でも、私たちは諦めませんでした。「一人ひとりを大切にすること。それが私たちの使命です。国籍や宗教は関係ありません」と、仲間たちに繰り返し伝えました。
そして、地域の人々との対話を重ね、私たちの活動の意義を理解してもらいました。次第に、地元の人々も私たちの活動を支援してくれるようになりました。
第6章:世界的な認知
1979年、思いがけないニュースが飛び込んできました。ノーベル平和賞の受賞が決まったのです。
「まさか…」と、私は驚きのあまり言葉を失いました。
仲間のシスター・アガサが興奮して駆け込んできました。「マザー!ノーベル平和賞ですよ!すごいことです!」
私は少し困惑しながら答えました。「でも、アガサ。私たちはただ、目の前の人々を助けてきただけよ」
「そうですけど、マザー。それが世界中の人々に希望を与えたんです」とアガサは言いました。
授賞式では、多くの人々の前でスピーチをすることになりました。緊張しましたが、心を落ち着かせて話し始めました。
「この賞は、私個人のものではありません。世界中の貧しい人々のためのものです。私たちは皆、神様の子どもです。互いに愛し合い、助け合うこと。それが平和への道なのです」
会場は静まり返り、その後大きな拍手が起こりました。多くの人々が涙を流していました。
賞による注目は、私たちの活動をさらに広げる機会となりました。世界中から支援の手が差し伸べられ、より多くの人々を助けることができるようになりました。
ある日、アメリカの大富豪が私たちの施設を訪れました。彼は施設を見学した後、私にこう言いました。
「シスター・テレサ、あなたの活動に感銘を受けました。私は大きな寄付をしたいと思います」
私は彼に感謝しつつ、こう答えました。「ありがとうございます。でも、お金だけでなく、あなたの時間も分けていただけませんか?直接、貧しい人々と触れ合うことで、もっと多くのことを学べると思います」
富豪は少し驚いた様子でしたが、最後には同意してくれました。彼は定期的に私たちの活動を手伝うようになり、後に自身の慈善団体も設立しました。
しかし、同時に新たな課題も生まれました。メディアの注目や、時には批判的な意見もありました。
「有名になることで、本来の使命を見失わないように気をつけなければ」と、私は自分自身に言い聞かせました。
そして、毎日の祈りの中で、初心を忘れないよう神様に導きを求めました。
第7章:最後の日々
年を重ねるにつれ、私の健康も衰えていきました。でも、可能な限り活動を続けました。
ある日、診察を受けた後、医師から厳しい診断を受けました。
「シスター・テレサ、あなたの心臓の状態はかなり悪化しています。もう無理をせず、ゆっくり休養すべきです」
しかし、私にはまだやるべきことがありました。
「シスター、もう休んでください」と、仲間たちが心配してくれました。
「大丈夫よ。まだまだやるべきことがあるわ」と、私は笑顔で答えました。「一人でも多くの人に、神様の愛を伝えたいの」
そんな私を見て、若いシスターたちは涙を流しながら言いました。「マザー、私たちがあなたの意志を継いでいきます。どうか安心してください」
その言葉に、私は深い感動を覚えました。「ありがとう。あなたたちを誇りに思います」
1997年9月5日、私の人生の旅は終わりを迎えました。最後の瞬間まで、愛する人々に囲まれていました。
ベッドの周りには、長年共に働いてきた仲間たち、そして私たちが世話をしてきた人々が集まっていました。
私は弱々しい声で、最後の言葉を伝えました。
「皆さん、ありがとう。そして、愛することを忘れないでください。愛は、この世界を変える力があるのです」
そして、私は穏やかな気持ちで目を閉じました。
エピローグ
私の人生を振り返ると、多くの苦難がありました。でも、それ以上に喜びと愛に満ちていたと感じます。
貧しい人々との出会い、彼らの笑顔、そして仲間たちとの絆。これらすべてが、私の人生を豊かなものにしてくれました。
私が残したかったのは、ただ一つのメッセージです。
「愛すること。それが人生の最大の意味です」
この言葉が、皆さんの心に少しでも響いてくれたら嬉しいです。
そして、これからも世界のどこかで、誰かが困っている人に手を差し伸べる。そんな光景を、私は天国から見守っています。
皆さん、愛し続けてください。そして、互いに助け合ってください。そうすれば、この世界はきっと、もっと素晴らしい場所になるでしょう。