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劉備 | 偉人ノベル
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劉備物語

アジア世界史政治
年表
161年
0才
漢中山郡で誕生
184年
23才
黄巾の乱
190年
29才
公孫瓚に仕える
194年
33才
徐州牧の陶謙に仕える
196年
35才
小沛の太守となる
198年
37才
徐州牧となる
200年
39才
曹操に敗れる
208年
47才
赤壁の戦い
214年
53才
漢中王に即位
221年
60才
蜀漢皇帝に即位
222年
61才
夷陵の戦い
223年
62才
白帝城で死去

第一章:幼き日々の記憶

私の名は劉備。字は玄徳。幼い頃から、母はよく私に語っていた。「お前は漢の皇帝の血筋を引いているのだよ」と。しかし、その言葉とは裏腹に、我が家は貧しく、わらぶき屋根の小さな家に住んでいた。

母と私は、わずかな畑を耕し、藁草履を編んで生計を立てていた。毎日の生活は決して楽ではなかったが、母の愛情と教えのおかげで、私は希望を失うことはなかった。

「玄徳、お前は特別な子だ。でも、それは血筋だけではない。お前の心の中にある思いやりと正義感、それこそが本当の宝なのだよ」

母のその言葉は、私の心に深く刻まれた。

ある日、近所の子どもたちと遊んでいると、一人が私をからかった。

「劉備!お前のお母さんは嘘つきだ!皇帝の子孫なんかじゃないくせに!」

その言葉に、私は怒りで体が震えた。拳を握りしめ、相手に飛びかかろうとした瞬間、母の教えを思い出し、深呼吸をして落ち着いた。

「お前たちには分からないだろう。血筋は大切だが、それ以上に大切なのは、自分の行動だ。いつか、私は必ず皆に認められる人間になってみせる」

その日から、私は更に勉学に励んだ。近くの寺子屋に通い、読み書きや歴史を学んだ。先生は私の熱心さに目を留め、特別に教えてくれることもあった。

「玄徳、お前には才能がある。しかし、才能だけでは不十分だ。それを磨き、正しく使うことが大切なのだ」

先生の言葉に、私は深くうなずいた。貧しくとも、知恵と徳を身につければ、きっと世の中を変えられると信じていた。

夜、藁草履を編みながら、私は母に尋ねた。

「母上、私たちはなぜこんなに貧しいのでしょうか。本当に皇帝の血筋なのですか?」

母は悲しそうな顔をしたが、すぐに優しく微笑んだ。

「玄徳、確かに我々は今は貧しい。しかし、血筋は本物だ。ただ、それは特権ではなく、責任なのだよ。お前には、民のために生きる使命があるのだ」

その夜、私は決意した。いつか必ず、この国を良くする。民のために生きる。そのために、自分を磨き続けよう。

幼き日々は貧しくとも、希望に満ちていた。それは、母の愛と教え、そして自分の中に芽生えた強い志があったからだ。

第二章:運命の出会い

私が15歳の時、近くの市で珍しい出来事があった。多くの人々が集まっており、私も興味本位で人混みに紛れ込んだ。そこで目にしたのは、一人の老人だった。彼は何やら占いのようなことをしており、人々は彼の言葉に聞き入っていた。

老人の周りには、様々な身分の人々が集まっていた。農民や商人、中には立派な身なりの役人らしき人もいる。皆、真剣な面持ちで老人の言葉に耳を傾けていた。

突然、その老人が私を指さした。

「そこの若者!お前には大器の相がある。世を治める者となるだろう」

周りの人々がどよめく中、私は戸惑いながらも老人の前に進み出た。心臓が激しく鼓動するのを感じながら、私は口を開いた。

「老人家、私には何の取り柄もございません。どうしてそのようなことを?」

老人は微笑んで答えた。

「お前の目に宿る志、その姿勢に漂う気品。それらは生まれながらにして持つものだ。しかし、忘れるな。才能は努力なくしては花開かぬ」

その言葉は、私の心に深く刻まれた。老人は続けて言った。

「若者よ、お前の前には二つの道がある。一つは安逸な道、もう一つは荊の道だ。どちらを選ぶかは、お前次第だ」

私は迷わず答えた。

「たとえ荊の道であっても、民のために生きる道を選びます」

老人は満足げにうなずいた。

「よかろう。ならば、これを持っていくがよい」

そう言って、老人は一枚の古い書物を私に手渡した。

「これは『春秋左氏伝』だ。この中に、お前の将来の指針があるはずだ」

私は恐縮しながらも、その書物を受け取った。家に帰る道すがら、私の心は期待と不安で一杯だった。

その夜、私は母にその日の出来事を話した。母は静かに聞いていたが、最後にこう言った。

「玄徳、お前の運命は開かれつつある。しかし、忘れてはならない。どんな時も、民の声に耳を傾けることだ」

私は深くうなずいた。「はい、母上。必ず、その教えを守ります」

その日から、私は更に自分を磨くことに励んだ。『春秋左氏伝』を読み、その教えを胸に刻んだ。いつか必ず、世のため人のために働く日が来ると信じて。

運命の出会いは、私の人生を大きく変えた。しかし、それは単なる偶然ではなく、これまでの努力と志が導いたものだったのかもしれない。

第三章:関羽・張飛との出会い

18歳になった私は、いよいよ故郷を離れ、世に出ることを決意した。母との別れは辛かったが、彼女は私の背中を優しく押してくれた。

「玄徳、お前の夢を追いなさい。きっと立派な人物になれると信じています」

涙を拭いながら、私は旅立った。そして、その旅の途中で運命的な出会いが待っていた。

最初に出会ったのは関羽だった。彼は髭の濃い、威厳のある男だった。市場で喧嘩を仲裁する彼の姿に、私は惹かれた。

喧嘩の原因は、ある商人が貧しい農民から不当に高い利子を取ろうとしたことだった。関羽は毅然とした態度で両者の間に立ち、公平な解決策を提示していた。

私は思わず彼に近づき、声をかけた。

「あなたの正義感に感銘を受けました。私と共に世のため働きませんか?」

関羽は黙って私を見つめ、やがてうなずいた。

「あなたの目に、真の志を感じる。共に歩もう」

関羽との出会いから数日後、私たちは張飛と出会った。彼は豪快な笑い声と、並外れた腕力の持ち主だった。酒場で悪漢たちを退治する彼を見て、私は声をかけた。

張飛は、酔っ払った数人の男たちが弱い立場の人々を脅していたのを見過ごせず、一人で立ち向かっていたのだ。

「その勇気、私たちの力になりませんか?」

張飛は大声で笑った。

「面白い!お前、気に入った。ついていってやろう!」

こうして、私たち三人は固い絆で結ばれた。その夜、私たちは酒を酌み交わしながら、互いの志を語り合った。

「兄弟よ、我々三人で誓おう。生まれた年や月は違えども、同じ日に死のうではないか。天のために力を尽くし、人々を危難から救おう」

関羽と張飛は、私の言葉に深くうなずいた。

「劉備兄貴、俺たちはついていくぜ。お前の志のために、命を懸ける」

張飛の言葉に、関羽も同意した。

「玄徳、私も同じ思いだ。我々三人の絆、誰にも引き裂くことはできまい」

その夜の誓いは、後に「桃園の誓い」と呼ばれることになる。それは、我々の友情の始まりであり、また、民のために生きるという志を新たにする機会でもあった。

翌日から、我々三人は共に旅を続けた。その道中、多くの人々と出会い、様々な経験を積んだ。時に困難に直面することもあったが、三人の絆があれば、どんな障害も乗り越えられると信じていた。

「兄弟よ、我々の前途は険しいかもしれない。しかし、民のために生きるという志さえ忘れなければ、必ず道は開けるはずだ」

私の言葉に、関羽と張飛は力強くうなずいた。こうして、我々の大いなる冒険が始まったのだ。

第四章:黄巾の乱

私たち三人が旅を続けていると、世間は騒然としていた。黄巾軍と呼ばれる反乱軍が各地で蜂起し、民衆を苦しめているという。

ある村に立ち寄った時、私たちは悲惨な光景を目にした。黄巾軍に襲われた村は荒廃し、多くの人々が傷つき、家を失っていた。

「このままでは、罪のない人々が苦しむことになる」

私の言葉に、関羽と張飛も同意した。

関羽が静かに言った。「玄徳、我々にできることがあるはずだ」

張飛も拳を握りしめ、「そうだ!黄巾軍をぶっ飛ばしてやろう!」と叫んだ。

我々は即座に官軍に志願し、黄巾軍との戦いに身を投じた。初めは末端の兵士として参加したが、我々の活躍は次第に認められるようになっていった。

戦場は混沌としていた。しかし、私たち三人の連携は抜群だった。関羽の冷静さ、張飛の勇猛さ、そして私の統率力。我々は互いの長所を生かし、多くの戦いで勝利を収めた。

ある日の戦闘で、私は一人の老人を見つけた。彼は怯えながらも、必死に逃げようとしていた。

「待ちなさい!ここは危険だ」

私は老人を助け、安全な場所まで案内した。

「ありがとうございます」老人は涙ながらに言った。「あなたのような義侠心のある方がいて、私たちは救われます」

その時、私は強く感じた。これこそが、私たちが戦う理由なのだと。罪のない人々を守るため、平和な世を作るため。

戦いの合間に、私は兵士たちと語り合った。彼らの多くは農民出身で、家族を守るために戦っていた。

「皆、よく聞いてくれ」と私は言った。「我々が戦うのは、黄巾軍を倒すためだけではない。民の平和な暮らしを取り戻すためだ。決して、民を苦しめるようなことがあってはならない」

兵士たちは私の言葉に深くうなずいた。その姿を見て、私は改めて自分の使命を感じた。

黄巾の乱は最終的に鎮圧されたが、その過程で私たちは多くのことを学んだ。戦うことの意味、人々を守ることの大切さを。そして、これが私たちの長い戦いの始まりに過��ないことも。

この戦いでの功績により、私は中山郡の尉に任命された。任命の知らせを受けた時、私は複雑な思いだった。

「関羽、張飛。私たちはようやく一歩を踏み出した。しかし、これは終わりではない。むしろ、本当の戦いはこれからだ」

関羽は静かにうなずいた。「玄徳、我々はあなたについていく。民のための戦い、共に続けようではないか」

張飛も大きな声で同意した。「そうだ!俺たちの戦いは、まだまだこれからだぜ!」

私は二人に深く頭を下げた。「ありがとう、兄弟たち。これからも、民のために力を尽くそう」

その夜、私は空を見上げながら思った。

「位や名誉は重要ではない。大切なのは、いかに民のために尽くせるかだ」

私はそう心に誓い、新たな責務に向かって歩み始めた。黄巾の乱は終わったが、我々の戦いは、まだ始まったばかりだった。

第五章:曹操との出会いと別れ

黄巾の乱後、私たちの名は少しずつ知られるようになった。中山郡の尉として務めながら、私は常に民のことを第一に考えていた。しかし、世の中は依然として混乱していた。

そんな中、私は曹操という人物と出会った。彼は鋭い眼光と、並外れた才能の持ち主だった。初めて会った時、彼の存在感に圧倒されたことを今でも覚えている。

曹操は私に近づき、こう言った。

「劉備殿、あなたの評判は聞き及んでおります。共に天下のために働きませんか?」

その言葉に、私は心惹かれた。曹操の才能は確かに素晴らしく、共に働けば大きな力になると感じた。しかし、同時に違和感も覚えた。

「曹操殿、あなたの才能には敬服いたします。しかし、天下のためとは、具体的にどういうことでしょうか?」

曹操は笑みを浮かべながら答えた。

「簡単だ。強い政権を作り、乱世を終わらせることだ。そのためには、時に厳しい措置も必要になるがな」

私は慎重に言葉を選んだ。

「確かに、平和は大切です。しかし、その過程で民を苦しめてはなりません」

曹操は軽く肩をすくめた。

「劉備殿、時に民は導かれる必要がある。彼らが何を望んでいるか、我々が決めねばならないこともあるのだ」

その言葉に、私は深い違和感を覚えた。しかし、曹操の力は無視できないものだった。

私たちは一時期、共に働いた。曹操の下で、私は多くのことを学んだ。戦略、政治、人心の掌握。彼の才能は確かに並外れていた。

しかし、次第に彼の本質が見えてきた。民を道具のように扱う姿勢、容赦ない手段。それらは、私の信念とは相容れないものだった。

ある日、曹操はこう言った。

「民は草芥のようなものだ。彼らのためではなく、自分の野望のために戦うのだ」

その言葉に、私は深い失望を感じた。もはや、曹操と共に歩むことはできないと悟った。

「曹操殿、私にはあなたについていけません。民のためにこそ、私たちは戦うべきです」

曹操は冷ややかな目で私を見た。

「劉備よ、お前はまだ甘い。この世界で生き残るには、もっと狡猾にならねばならぬ」

こうして、私たちの道は分かれた。別れ際、曹操はこう言った。

「いつか、お前は自分の甘さを後悔することになるだろう」

私は静かに答えた。

「たとえそうなっても、私は自分の信念を曲げません」

曹操との別れは、私に大きな教訓を残した。才能だけでなく、その人の志や信念を見極めることの大切さを。そして、どんなに困難でも、自分の信念を貫くことの重要性を。

関羽と張飛は、私の決断を全面的に支持してくれた。

「兄貴、よくぞ言ってくれた!」張飛は大声で叫んだ。

関羽も静かにうなずいた。「玄徳、あなたの決断は正しい。我々は民のために戦う。それ以外の道はない」

彼らの言葉に、私は勇気づけられた。

「兄弟たち、ありがとう。これからの道は険しいかもしれない。しかし、我々の志さえ忘れなければ、必ず道は開けるはずだ」

こうして、我々は新たな旅立ちをした。曹操という強大な力に背を向けたことで、多くの困難が待ち受けているのは分かっていた。しかし、民のための戦いを決して諦めないという固い決意と共に、我々は前を向いて歩み始めたのだった。

第六章:諸葛亮との出会い

曹操と別れた後、私たちは荊州へと向かった。その地で新たな力を得るためだ。そこで、ある噂を耳にした。

「臥龍と鳳雛という、非常に優秀な人材がいるそうだ」

その噂を聞いた時、私の心は大きく揺れ動いた。これこそ、我々に必要な力なのではないか。しかし同時に、不安も感じていた。果たして、その人物たちは我々の志に共感してくれるだろうか。

私は即座に、彼らを探す旅に出た。関羽と張飛も、私の決断を支持してくれた。

「玄徳、必ずや素晴らしい人材に出会えるはずだ」と関羽。

「兄貴、俺たちもついていくぜ!」と張飛。

彼らの言葉に勇気づけられ、我々は長い探索の旅に出た。そして、ついに臥龍こと諸葛亮の住処にたどり着いた。

諸葛亮の庵を訪れると、彼は寝ているところだった。私は辛抱強く待った。一度目、二度目と空振りに終わったが、私は諦めなかった。

「兄者、もう帰ろうぜ。あいつ、会う気がないんじゃねえのか?」張飛が苛立ちを隠せずに言った。

しかし、私は首を振った。「いや、もう一度行こう。きっと、会えるはずだ」

三度目の訪問。ようやく、諸葛亮と対面できた。

彼は若かったが、その目には深い智慧が宿っていた。

「劉備殿、なぜそこまで私に会いたいのですか?」

諸葛亮の問いに、私は真摯に答えた。

「天下を治め、民を安んじたいのです。そのために、あなたの知恵をお借りしたい」

私は、これまでの経験や思いを全て語った。黄巾の乱での戦い、曹操との出会いと別れ、そして何より、民のために生きるという私の志を。

諸葛亮は長い間黙っていたが、やがて微笑んだ。

「あなたの志に、私は心を動かされました。お力添えさせていただきましょう」

その言葉に、私の心は喜びで満たされた。同時に、大きな責任も感じた。

「諸葛亮殿、本当にありがとうございます。共に、民のための世を作りましょう」

こうして、諸葛亮が我々の仲間に加わった。彼の知略は素晴らしく、多くの困難を乗り越える助けとなった。

ある日、諸葛亮は私にこう言った。

「主君、あなたの仁は素晴らしい。しかし、時には厳しさも必要です」

「分かっている。だが、私は決して民を踏みにじるようなことはしたくない」

諸葛亮は深くうなずいた。

「その志こそが、あなたの最大の強みです。私たちはその志を実現するために戦うのです」

諸葛亮との出会いは、私の人生を大きく変えた。彼の知恵と忠誠は、後の蜀漢建国への大きな力となったのだ。

そして、我々の前には新たな挑戦が待っていた。天下三分の時代、我々はどのようにして民のための国を作り上げていくのか。その長い戦いの幕が、今まさに上がろうとしていた。

第七章:赤壁の戦い

曹操の勢力が拡大し、南下の兆しを見せ始めた。私たち蜀と、孫権率いる呉は、共に危機感を抱いていた。

「このままでは、曹操に天下を取られてしまう」

私の懸念に、諸葛亮が答えた。

「主君、ここは呉と手を組むべきです。共に曹操と戦いましょう」

その提案に、関羽が眉をひそめた。

「諸葛亮殿、呉を信用していいのでしょうか?」

張飛も同意した。「そうだぜ。あいつら、裏切りそうじゃねえか?」

しかし、諸葛亮は冷静に説明した。

「今は、より大きな脅威に対処する時です。呉も、我々と同じ危機感を持っているはずです」

私は深く考えた末、決断を下した。

「諸葛亮の言う通りだ。呉と同盟を結ぼう」

こうして、蜀と呉の同盟が成立した。そして、運命の赤壁の戦いが始まった。

曹操軍は圧倒的な数を誇っていた。その軍勢を目の当たりにした時、私たちの心に不安が過ぎった。

「あれほどの軍勢と戦えるのだろうか…」

しかし、諸葛亮の策略と、呉の周瑜の協力により、我々は奇策を練った。

風を利用して火攻めを仕掛ける。それが我々の作戦だった。

作戦当日、私は不安と期待が入り混じる思いだった。

「本当にうまくいくのだろうか…」

そんな私の思いを察したかのように、関羽が声をかけてきた。

「兄貴、心配するな。俺たちがついている」

張飛も大声で同意した。

「そうだ!俺たちの絆は、誰にも負けねえ!」

彼らの言葉に、私は勇気づけられた。

そして、作戦が開始された。風に乗って、火の船が曹操の軍船に次々と突っ込んでいく。あっという間に、曹操の艦隊は炎に包まれた。

「やった!うまくいった!」

張飛の歓声が上がる中、私は冷静さを保とうと努めた。

「まだだ。これは始まりに過ぎない」

戦いは激しさを増した。曹操軍は混乱に陥りながらも、必死に抵抗を続けた。しかし、我々の士気は上がる一方だった。

最後の決戦の時、私は兵士たちに向かって叫んだ。

「諸君!我々が戦うのは、民のためだ。平和な世を作るため。共に戦おう!」

その言葉に、兵士たちは大きな声で応えた。

作戦は大成功を収めた。曹操の大軍は、炎と混乱の中で敗走した。

勝利の後、私は静かに夜空を見上げた。

「これで、民が平和に暮らせる日も近いだろうか…」

しかし、これは長い戦いの、ほんの始まりに過ぎなかった。

諸葛亮が私の傍らに立ち、静かに言った。

「主君、これは大きな一歩です。しかし、真の平和を築くには、まだまだ長い道のりが待っています」

私は深くうなずいた。

「ああ、その通りだ。我々の戦いは、まだ始まったばかりなのだな」

赤壁の戦いは、我々に大きな勝利をもたらした。しかし同時に、これからの道のりの険しさも教えてくれた。民のための国を作る。その夢の実現に向けて、我々の戦いは続いていくのだ。

第八章:蜀漢建国

赤壁の戦いの後、天下は魏・呉・蜀の三国に分かれた。我々は、蜀の地に新たな国を建てた。蜀漢の誕生である。

建国の日、私は複雑な思いだった。

「ついに、ここまで来たのか…」

諸葛亮が私の傍らに立った。

「主君、これはゴールではありません。ここからが本当の始まりです」

彼の言葉に、私は深くうなずいた。

「そうだな。民のための国を作る。それが我々の使命だ」

関羽と張飛も、私の傍らに集まってきた。

「兄貴、ついに俺たちの国ができたぜ!」張飛は嬉しそうに叫んだ。

関羽も静かに微笑んだ。「ここまで来られたのも、玄徳兄の志があってこそだ」

私は二人に深く頭を下げた。

「いや、皆のおかげだ。これからも、力を貸してくれ」

蜀漢の治世は、決して平坦ではなかった。度重なる戦い、内政の難しさ。しかし、私たちは決して諦めなかった。

ある日、諸葛亮が私に進言してきた。

「主君、民の暮らしを良くするには、農業の発展が不可欠です。新しい農具の開発や、灌漑設備の整備を進めましょう」

私はその提案に深く同意した。

「その通りだ。民が豊かに暮らせてこそ、真の平和と言えるのだからな」

我々は、軍事だけでなく、民生の向上にも力を注いだ。新しい学校を建て、道路を整備し、市場を活性化させた。

しかし、平和な日々は長くは続かなかった。魏との戦いは避けられず、我々は再び戦場へと向かうことになった。

出陣の前日、私は兵士たちに語りかけた。

「諸君、我々が戦うのは征服のためではない。民を守るためだ。決して、民を苦しめるような行為があってはならぬ」

兵士たちは、私の言葉に深くうなずいた。

戦いの中で、私は常に民のことを考えていた。勝利することも大切だが、それ以上に大切なのは、民の平和な暮らしを守ることだと。

ある日、年老いた母が蜀を訪れた。

「玄徳、立派になったね」

母の言葉に、私は思わず涙がこぼれた。

「母上、これもすべて、あなたのおかげです」

母は優しく微笑んだ。

「いいえ、これはあなたの努力の結果よ。でも、忘れないで。権力は民のためにあるのです」

母の言葉は、私の心に深く刻まれた。

そして、私は改めて誓った。どんなに困難な道のりであっても、民のための国作りを諦めない。それが、漢の血を引く者としての、そして一人の人間としての私の使命なのだと。

蜀漢の道は、まだ始まったばかり。しかし、我々の志は揺るぎないものだった。民のための国を作る。その夢の実現に向けて、我々の戦いは続いていく。

終章:我が人生を振り返って

今、私は人生の終わりを感じている。振り返れば、長く、そして激動の人生だった。

幼い頃、藁草履を編みながら夢見た未来。黄巾の乱での戦い、曹操との出会いと別れ、赤壁の戦い、そして蜀漢の建国。すべてが、まるで昨日のことのように鮮明に蘇ってくる。

関羽、張飛、諸葛亮。多くの仲間たちと別れを経験した。彼らとの思い出は、今も鮮明に心に残っている。

関羽との最後の別れを思い出す。彼の忠義と勇気は、最後の瞬間まで変わることはなかった。

「玄徳兄、私の最期をお許しください。しかし、我が魂は永遠にあなたと共にあります」

張飛との別れも、胸が痛む。彼の豪快な笑い声が、今でも耳に残っている。

「兄貴、心配すんな!俺は天国でも、あんたの味方だぜ!」

そして、諸葛亮。彼の知恵と忠誠は、蜀漢の礎となった。

「主君、私の力不足をお許しください。しかし、私の志は永遠に蜀漢と共にあります」

彼らとの別れは辛かったが、同時に、彼らと共に歩んだ日々が、私の人生の宝物だったことを実感する。

我が息子、劉禅に、私は言った。

「禅よ、権力は民のためにある。それを忘れるな」

息子の目に、決意の色が浮かぶのを見て、私は少し安心した。しかし同時に、これからの時代の難しさも感じている。

果たして、私の人生は正しかったのだろうか。民のために戦い続けた日々。時に、迷いもあった。本当にこの道で良かったのか、もっと別の方法があったのではないか。そんな思いが、胸をよぎることもあった。

しかし、今は胸を張って言える。

「我が人生に、悔いはない」

確かに、すべてが思い通りになったわけではない。多くの犠牲も払った。しかし、私は最後まで、自分の信念を貫いた。民のために生きるという、若き日に誓った「仁」の心。それを最後まで貫き通せたことを、私は誇りに思う。

振り返れば、私の人生は波乱に満ちていた。しかし、その一つ一つが、私を作り上げた。そして、多くの人々との出会いが、私を支えてくれた。

母の教え、関羽と張飛との固い絆、諸葛亮の知恵、そして多くの民の声。それらすべてが、私の人生を形作ったのだ。

今、私は安らかな気持ちで目を閉じることができる。

これからの世界がどうなるかは分からない。しかし、私は信じている。いつの日か、真の平和が訪れることを。そして、我が志が後世に受け継がれていくことを。

我が名は劉備玄徳。漢の血を引く者として、民のために生きた男の物語は、ここで幕を閉じる。

しかし、我が志は、永遠に生き続けるだろう。

民のための世界を作る。その夢は、必ずや実現されるはずだ。

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