第1章: 砂漠の中の誕生
私の名はムハンマド・イブン・アブドゥッラーフ。西暦570年、アラビア半島の砂漠の中心に位置するメッカで生まれた。私の誕生は、この世界に大きな変化をもたらす始まりだった。
父アブドゥッラーフは、私が生まれる前に亡くなった。母アーミナは私を産んだ後、すぐに乳母のハリーマに預けた。砂漠の厳しい環境で育てられることが、当時の習慣だった。
ハリーマの家で過ごした日々は、私の人生で最も平和な時期だった。砂漠の広大な空の下で羊を追いながら、私は自然の美しさと厳しさを学んだ。
「ムハンマド、お前は特別な子だ」とハリーマは時々言った。「お前の周りには、いつも光があるんだよ」
私は彼女の言葉の意味が分からなかったが、何か大きな運命が私を待っているような気がしていた。
6歳の時、母アーミナが私を引き取りに来た。メッカに戻る途中、母は病に倒れ、私の目の前で息を引き取った。突然の出来事に、私は言葉を失った。
「母さん!母さん!」私は母の冷たくなった体に縋りついた。「起きて!僕を置いていかないで!」
しかし、母は二度と目を開くことはなかった。その日、私は人生で最も大切なものを失った。孤独と悲しみが私の心を覆い、世界が急に冷たく感じられた。
祖父のアブドゥル・ムッタリブが私を引き取ってくれた。彼は優しく、私を自分の息子のように可愛がってくれた。しかし、2年後に祖父も亡くなり、私は叔父のアブー・ターリブの家で暮らすことになった。
幼い頃から、私は周りの人々とは少し違うと感じていた。メッカの人々が信じる多神教に違和感を覚え、一つの神の存在を信じていた。夜になると、私はよく砂漠に出て、星空を見上げながら考えを巡らせた。
「この広大な宇宙を創造したのは、きっと一人の偉大な神様なんだ」と、私は心の中でつぶやいた。
12歳の時、叔父と一緒にシリアへ商売の旅に出た。その旅で、私は初めてキリスト教の修道士バヒーラに出会った。彼は私の背中に「預言者の印」があると言い、私の将来について予言した。
「お前は、この世界を変える使命を持って生まれてきたのだ」とバヒーラは言った。「お前の言葉は、多くの人々の心に響くだろう」
その言葉は私の心に深く刻まれた。しかし、その時の私には、自分がどのような使命を果たすのか、まだ分からなかった。
青年期に入ると、私はメッカの商人として働き始めた。正直で誠実な商売で評判を得て、「アル・アミーン(信頼できる人)」というあだ名で呼ばれるようになった。
25歳の時、私は裕福な商人の未亡人ハディージャの商売を手伝うことになった。彼女は40歳で、私より15歳年上だった。しかし、私たちは互いに惹かれ合い、結婼することになった。
結婚式の日、ハディージャは私にこう言った。「ムハンマド、あなたの誠実さと優しさに惹かれたの。私たちの結婚生活が、愛と理解に満ちたものになることを願っています」
私は彼女の手を取り、「ハディージャ、あなたは私の心の支えです。共に歩んでいけることを、心から嬉しく思います」と答えた。
ハディージャとの結婚生活は幸せだった。彼女は私の良き理解者であり、後に私が預言者としての使命を受けた時も、最初の信者となって支えてくれた。
第2章: 啓示の始まり
40歳になった西暦610年、私の人生は大きく変わった。その年の断食月であるラマダーン月、私はいつものようにヒラー山の洞窟で瞑想をしていた。
静寂の中、突然、強烈な光が現れ、天使ジブリール(ガブリエル)が私の前に立った。彼の姿は荘厳で、私は恐怖で体が震えた。
「読め!」とジブリールは命じた。
「私は読めません」と私は答えた。私は文字の読み書きができなかったのだ。
すると、ジブリールは私を強く抱きしめ、再び「読め!」と命じた。私が同じように答えると、彼は三度私を抱きしめ、今度は次のように言った。
「読め。創造主であるあなたの主の御名において。一塊の凝血から人間を創られた。読め。あなたの主は最も尊い方である。筆によって教えられた方である。人間に未知なることを教えられた方である」
これが、後にクルアーンの最初の啓示となる言葉だった。私はこの言葉を心に刻み、恐怖と興奮で震えながら洞窟を出た。
家に帰ると、私は毛布にくるまり、ハディージャに叫んだ。「私を覆って!私を覆って!」
ハディージャは私を落ち着かせ、優しく尋ねた。「何があったの、ムハンマド?」
私は起こったことを全て話した。彼女は私の手を取り、こう言った。「恐れることはありません。アッラーはあなたを見捨てたりしません。あなたは親族に優しく、困っている人を助け、客人をもてなし、真実を語る人です。きっとアッラーがあなたを選ばれたのです」
ハディージャの言葉は私に勇気を与えた。彼女は私を連れて、彼女のいとこで聖書の知識がある老人ワラカ・イブン・ナウファルのもとへ行った。
ワラカは私の話を聞くと、興奮して言った。「これはモーセに下された啓示と同じものだ!ムハンマド、あなたはこの民の預言者なのだ」
私は戸惑いを隠せなかった。「私が…預言者?」
ワラカは厳かに続けた。「あなたの使命は重い。多くの人々があなたに敵対するだろう。しかし、真理は必ず勝利する。あなたの言葉が、この世界を変えるのだ」
その日から、私の人生は大きく変わった。啓示は断続的に続き、私はそれを人々に伝える使命を負うことになった。
最初は家族や親しい友人たちにだけ、この新しい教え – イスラームについて話した。ハディージャ、私の従兄弟のアリー・イブン・アビー・ターリブ、親友のアブー・バクルが最初の信者となった。
アブー・バクルは私に言った。「ムハンマド、あなたの言葉には真実がある。私はあなたを信じ、あなたの教えに従います」
しかし、メッカの有力者たちは私の教えを脅威と感じ、激しく反発した。彼らは私を狂人呼ばわりし、信者たちを迫害した。
ある日、メッカの指導者アブー・ジャハルが私に近づいてきた。彼の目は怒りに燃えていた。
「ムハンマド、お前の教えは我々の伝統を否定し、我々の神々を侮辱している。今すぐやめろ。さもなければ…」
私は彼の脅しに動じず、静かに答えた。「アブー・ジャハル、私は真理を語っているだけだ。一つの神アッラーの他に神はない。私たちは皆、平等に創られた兄弟なのだ」
彼は唾を吐き、去っていった。その後、信者たちへの迫害はさらに激しくなった。奴隷だった信者のビラールは、灼熱の砂の上で拷問を受けた。
「アハド、アハド(神は唯一)」とビラールは叫び続けた。彼の信仰の強さに、私は胸を打たれた。
迫害が激しくなる中、私は信者たちにアビシニア(現在のエチオピア)への移住を勧めた。「そこには公正な王がいる。彼の国で、あなたたちは平和に暮らせるだろう」
多くの信者が涙ながらに別れを告げ、アビシニアへ向かった。彼らの旅立ちを見送りながら、私は胸が締め付けられる思いだった。
「アッラー、どうか彼らをお守りください」と私は祈った。
しかし、メッカでの状況は改善されなかった。私の叔父アブー・ターリブは、クライシュ族の有力者でありながら、私を守り続けてくれた。彼は信者ではなかったが、血縁の絆を重んじてくれたのだ。
ある日、アブー・ターリブは私にこう言った。「甥よ、私はお前を守り続ける。しかし、クライシュ族の怒りは日に日に強くなっている。気をつけろ」
私は叔父の心配そうな顔を見て、答えた。「叔父上、私はアッラーから与えられた使命を放棄することはできません。たとえ太陽を右手に、月を左手に置かれても、私はこの道を歩み続けます」
アブー・ターリブは深いため息をつき、「お前の決意はわかった。私にできる限り、お前を守ろう」と言った。
しかし、620年、私の人生に大きな試練が訪れた。最愛の妻ハディージャと、私を守ってくれていた叔父アブー・ターリブが相次いで亡くなったのだ。この年は「悲しみの年」と呼ばれるようになった。
ハディージャの死は、私に深い悲しみをもたらした。彼女は25年間、私の最大の支えだった。彼女の死の床で、私は涙を流しながら彼女の手を握った。
「ハディージャ、あなたは私の人生の光でした。あなたなしで、私はどうやって生きていけばいいのでしょう」
彼女は弱々しく微笑み、こう言った。「ムハンマド、あなたの使命はまだ終わっていません。私の分まで、頑張ってください」
彼女の最後の言葉は、私の心に深く刻まれた。
第3章: 夜の旅と昇天
悲しみの年の後、私は驚くべき体験をした。それは「夜の旅(イスラー)」と「昇天(ミーラージュ)」と呼ばれるものだ。
ある夜、私が眠っていると、天使ジブリールが現れ、私を起こした。「起きなさい、ムハンマド。今夜、あなたは素晴らしい旅をするのです」
私が目を覚ますと、そこには翼の生えた不思議な乗り物、ブラークがいた。ジブリールは私をブラークに乗せ、一瞬にしてメッカからエルサレムへと連れて行った。
エルサレムでは、過去の預言者たちが私を出迎えてくれた。アブラハム、モーセ、イエスなど、私が尊敬する預言者たちだ。彼らと共に祈りを捧げた後、ジブリールは私を天に昇らせた。
七つの天を通り過ぎる間、私はさまざまな預言者たちに会った。各天で、彼らは私を歓迎し、励ましの言葉をかけてくれた。
最後の天で、私は直接アッラーの御前に立った。その瞬間の荘厳さは、言葉では表現できないものだった。アッラーは私に、イスラームの重要な教えを啓示された。その中には、1日5回の礼拝の義務も含まれていた。
地上に戻った後、私はこの体験を人々に語った。多くの人々は信じなかったが、アブー・バクルは即座に私を信じてくれた。彼の信頼は、私に大きな勇気を与えた。
「ムハンマド、あなたが真実を語っていることは分かっています」とアブー・バクルは言った。「あなたが天まで行ったと言うなら、それは本当なのです」
しかし、メッカの不信仰者たちは、この話を聞いてさらに私を嘲笑した。彼らは私を狂人扱いし、私の信者たちへの迫害を強めた。
第4章: メディナへの移住(ヒジュラ)
メッカでの迫害が激しくなる中、私は新たな活路を見出そうとしていた。そんな時、メディナ(当時のヤスリブ)からの訪問者たちが、イスラームに興味を示した。彼らは私をメディナに招待し、そこでイスラームを広めることを提案した。
西暦622年、ついに私たちはメッカを離れ、メディナへの移住(ヒジュラ)を決意した。この移住は、後にイスラーム暦の始まりとなる重要な出来事だった。
出発の前夜、メッカの不信仰者たちが私を殺そうと家を取り囲んでいた。私は親友のアブー・バクルと共に、密かに家を抜け出した。
「アブー・バクル、今夜が私たちの運命の分かれ目だ」と私は囁いた。
彼は静かに頷き、「アッラーが私たちと共にいてくださいます」と答えた。
私たちはサウル山の洞窟に身を隠した。追っ手が洞窟の入り口まで来たとき、アブー・バクルは恐怖で震えていた。
「もし彼らが下を見たら、私たちは見つかってしまう」と彼は囁いた。
私は彼を落ち着かせるように言った。「恐れることはない、アブー・バクル。アッラーが私たちと共にいるのだから」
奇跡的に、追っ手は洞窟を調べることなく去っていった。3日後、私たちは危険を冒してメディナへの旅を続けた。
メディナに到着すると、人々は私たちを熱烈に歓迎してくれた。彼らは「アンサール(援助者)」と呼ばれ、メッカからの移住者「ムハージルーン」と共に、新しいイスラーム共同体の基礎を築いた。
メディナでの最初の仕事は、モスクの建設だった。私自身も他の信者たちと共に、汗を流して働いた。
「預言者様、あなたがこんな重労働をなさるべきではありません」とある信者が言った。
私は微笑んで答えた。「私たちは皆平等だ。共に働くことで、私たちの絆はさらに強くなる」
モスクは単なる礼拝の場所ではなく、教育の中心地、そして共同体の集会所としての役割も果たした。ここで、イスラームの教えが深められ、新しい社会秩序が形成されていった。
メディナでは、ユダヤ教徒やキリスト教徒も含む様々な集団が共存していた。私は彼らとの平和的な共存を目指し、「メディナ憲章」を制定した。これは、異なる信仰を持つ人々の権利を保障する、世界最初の成文憲法の一つだった。
「この憲章により、私たちは一つの共同体となる」と私は宣言した。「お互いの信仰を尊重し、共に平和に暮らそう」
しかし、平和な日々は長くは続かなかった。メッカの不信仰者たちは、私たちの新しい共同体を脅威と見なし、攻撃の準備を始めた。
西暦624年、メッカ軍とイスラーム軍がバドルの谷で衝突した。メッカ軍は1000人、対するイスラーム軍はわずか313人だった。
戦いの前、私は熱心に祈った。「アッラー、もしこの小さな軍が敗れれば、あなたを崇める者はこの地上からいなくなってしまいます。どうか私たちをお助けください」
驚くべきことに、イスラーム軍は勝利を収めた。この勝利は、信者たちの士気を大いに高めた。
しかし、翌年のウフドの戦いでは、イスラーム軍は敗北を喫した。この戦いで、私は顔に傷を負い、歯を折られた。多くの信者が命を落とし、一時は私も死んだという噂が広まった。
敗北後、一部の信者たちは落胆していた。私は彼らを励まし、こう言った。「これは試練だ。アッラーは私たちの信仰を試しているのだ。私たちは諦めてはならない」
その後も、メッカとの緊張状態は続いた。西暦627年、メッカ軍は大軍を率いてメディナを包囲した。これは「塹壕の戦い」として知られている。
私たちは、ペルシャ人のサルマーン・アル=ファーリシーの提案で、メディナの周りに深い塹壕を掘った。敵はこの防御を突破できず、最終的に撤退した。
この勝利により、イスラーム共同体の力と影響力は更に増大した。多くのアラブ部族が、イスラームに改宗し始めた。
第5章: メッカ征服と最後の巡礼
西暦628年、私は約1400人の信者と共にメッカへの小巡礼を試みた。しかし、メッカの不信仰者たちは私たちの入城を拒否した。交渉の末、私たちはフダイビーヤの地で「フダイビーヤの協定」を結んだ。
この協定により、翌年の小巡礼が許可され、10年間の休戦が約束された。多くの信者たちは、この協定を屈辱的だと感じていた。
「預言者様、なぜこんな不平等な協定を結ぶのですか?」とウマル・イブン・アル=ハッターブが不満を漏らした。
私は彼を諭すように言った。「ウマルよ、これは勝利なのだ。この平和により、イスラームはさらに広まるだろう」
実際、この2年間でイスラームに改宗する人の数は、それまでの18年間よりも多かった。
しかし、西暦630年、メッカ側が協定を破ったため、私は1万人の軍を率いてメッカに向かった。驚いたことに、メッカはほとんど抵抗せずに降伏した。
カアバ神殿に入ると、私はそこにあった全ての偶像を破壊した。そして、こう宣言した。
「真理が来て、虚偽は消え去った。虚偽は必ず消え去るものなのだ」
メッカの人々は恐れおののいていた。彼らは、長年私たちを迫害してきたことへの報復を恐れていたのだ。しかし、私は彼らに向かってこう言った。
「今日、あなたがたを責めることはない。帰りなさい。あなたがたは自由の身だ」
この寛容な態度に、多くのメッカの人々は感動し、イスラームに改宗した。
メッカ征服後、アラビア半島の多くの部族がイスラームを受け入れ、イスラーム国家の一部となった。
西暦632年、私は最後の巡礼を行った。カアバ神殿の前で、私は10万人以上の信者たちに向かって説教を行った。これは「別れの説教」として知られている。
「人々よ、私の言葉をよく聞きなさい。私はこの後、もうあなたがたと会うことはないかもしれない」と私は話し始めた。
そして、イスラームの基本的な教えを再確認し、人々に正義と平等を説いた。
「アラブ人が非アラブ人に対して優越性を持つことはない。同様に、非アラブ人がアラブ人に対して優越性を持つこともない。白い肌の者が黒い肌の者に対して優越性を持つことはなく、黒い肌の者が白い肌の者に対して優越性を持つこともない。優越性は、ただ敬虔さによってのみ測られるのだ」
この言葉に、群衆は深く感動した。多くの人が涙を流していた。
最後に、私はこう締めくくった。
「私はあなたがたに、二つのものを残していく。それに従う限り、あなたがたは決して道を誤ることはない。それは、アッラーの啓典クルアーンと、私の範例(スンナ)だ」
この巡礼から3ヶ月後、私は高熱に襲われた。病床で、私は最後の力を振り絞って信者たちに語りかけた。
「私の後継者として、誰も指名しない。あなたがたで話し合って決めなさい。ただし、クルアーンとスンナを忠実に守る者を選びなさい」
そして、西暦632年6月8日、私は63歳でこの世を去った。最愛の妻アーイシャの腕の中で、私は最後の言葉を囁いた。
「至高なる友(アッラー)のもとへ…」
私の死後、イスラーム共同体は大きな悲しみに包まれた。しかし、彼らは私の教えを胸に刻み、イスラームの教えを世界中に広めていった。
私の人生は、孤児として始まり、預言者として終わった。その道のりは決して平坦ではなかったが、アッラーの導きと、信者たちの支えがあったからこそ、乗り越えることができた。
私の言葉と行いが、後の世代の人々の心に響き、彼らを正しい道へと導くことを願っている。そして、全ての人々が平等に扱われ、正義と慈悲が支配する世界が実現することを、心から祈っている。