第1章: 誕生と幼少期
私の名はイエス。キリストと呼ばれることもある。私の人生は、多くの人々の人生を変えることになる運命の下に始まった。
西暦前4年頃、私はベツレヘムの小さな町で生まれた。母マリアと父ヨセフは、ローマ帝国の人口調査のためにナザレからベツレヘムへ旅をしていた。宿屋は満室で、私は馬小屋で生まれた。冷たい夜気の中、わらの寝床で産声を上げた私を、母は優しく包み込んだ。
「ヨセフ、見て。この子は特別な子よ」母の声には確信が満ちていた。
父は黙ってうなずいた。彼は大工であり、言葉少ない人だった。しかし、その目には深い愛情が宿っていた。
その夜、羊飼いたちが私を見に来た。彼らは興奮した様子で、天使が現れて私の誕生を告げたと言っていた。
「この子こそ、世界の救い主です」羊飼いの一人が言った。
私はまだ何も理解できなかったが、周りの人々の喜びと期待を感じ取ることはできた。
数日後、東方の国から博士たちがやってきた。彼らは高価な贈り物を持ってきていた。
「この子は、ユダヤ人の王として生まれた方です」博士の一人が言った。「私たちは、その方の星を見て、礼拝するためにやって来ました」
その言葉を聞いた時、ヘロデ王は動揺した。彼は私を殺そうとしたが、父は夢のお告げを受けて、私たちをエジプトへ連れ出した。
エジプトでの生活は決して楽ではなかった。異国の地で、言葉も通じない中、父は必死に働いた。母は私を守るために、常に警戒を怠らなかった。
「イエス、あなたは特別な存在なのよ」母は私にそう言い聞かせた。「でも、今はまだその時ではありません。静かに、普通の子供として育つのよ」
ヘロデ王が死んだという知らせを受けて、私たちは再びナザレに戻った。そこで私は、普通の少年として成長していった。
父の仕事場で、私は大工の技術を学んだ。木を削り、組み立てる作業は、私に忍耐と創造性を教えてくれた。同時に、私は聖書の教えを熱心に学んだ。
12歳の時、私は両親と一緒にエルサレムの過越祭に参加した。祭りが終わって帰る時、私は両親に気づかれずにエルサレムに残った。神殿で律法学者たちと議論をしていたのだ。
「なぜこんなことをしたの?」3日後に私を見つけた母は、安堵と怒りが入り混じった表情で言った。
「御父の家にいるべきだと思ったのです」私は答えた。
母はその言葉の意味を完全には理解できなかったようだが、深く考え込んでいた。
その後の数年間、私はナザレで静かに過ごした。大工として働きながら、自分の使命について深く考えていた。人々の苦しみや悲しみを目の当たりにするたびに、私の心は痛んだ。そして、いつか彼らを救う日が来ることを信じていた。
第2章: 公生活の始まり
30歳になった頃、私は自分の使命を果たす時が来たと感じた。ナザレを後にし、ヨルダン川へと向かった。そこで私は、いとこのヨハネに出会った。
ヨハネは荒野で説教をし、人々に悔い改めと洗礼を呼びかけていた。彼の姿は荒々しく、ラクダの毛の衣を着て、イナゴと野蜜を食べていた。
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」ヨハネは私を見て叫んだ。
私はヨハネに洗礼を受けることを求めた。最初、彼は躊躇した。
「私こそあなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが私のところに来られるのですか」ヨハネは驚いた様子で言った。
「今は、そうさせてください。正しいことをすべて行うのは、私たちにふさわしいことです」私は静かに答えた。
ヨハネが私に洗礼を授けた時、天が開け、神の霊が鳩のように私の上に降りてきた。そして、天からの声がした。
「これは私の愛する子、私の心に適う者である」
その瞬間、私は自分の使命を明確に理解した。しかし同時に、大きな試練が待っていることも感じた。
洗礼の後、私は聖霊に導かれて荒野に入った。そこで40日間、断食をしながら祈り、瞑想した。空腹と孤独の中で、私は自分の使命と向き合った。
その時、誘惑者が現れた。
「もし、あなたが神の子なら、この石がパンになるように命じなさい」誘惑者は言った。
私は答えた。「人はパンだけで生きるのではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きるのだ」
誘惑者は諦めなかった。彼は私を神殿の頂に連れて行き、こう言った。「もし、あなたが神の子なら、ここから飛び降りなさい。『神は御使いたちに命じて、その手であなたを支えさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる』と書いてあるではないか」
私は答えた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある」
最後に、誘惑者は私を非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその栄華を見せた。
「もし、ひれ伏して私を拝むなら、これらのものをすべてあなたに与えよう」誘惑者は言った。
私は毅然として答えた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主にのみ仕えよ』と書いてある」
誘惑者は去り、天使たちが来て私に仕えた。この経験を通じて、私は自分の使命の重さと、それを全うするための強さを得た。
荒野から戻った私は、ガリラヤで教えを説き始めた。「悔い改めなさい。天の国は近づいた」これが私のメッセージだった。
ある日、ガリラヤ湖のほとりを歩いていると、漁師をしている兄弟を見かけた。シモン(後のペテロ)とアンデレだ。
「私について来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう」私は彼らに声をかけた。
彼らは驚いた様子だったが、すぐに網を捨てて私に従った。さらに歩いていくと、別の兄弟、ヤコブとヨハネも見つけた。彼らも私の呼びかけに応じて、父ゼベダイを残して従ってきた。
これが私の最初の弟子たちだった。彼らは単純な漁師だったが、私は彼らの中に大きな可能性を見出した。彼らと共に、私は神の国の福音を宣べ伝え始めた。
私たちはガリラヤ中を巡り、会堂で教え、神の国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気や患いをいやした。私の評判は瞬く間に広まり、シリア全体に及んだ。人々は病人、悪霊に取りつかれた人、てんかんの人、中風の人など、さまざまな症状に苦しむ人々を私のもとに連れてきた。
私は彼らをいやしながら、こう教えた。「幸いなのは、心の貧しい人々だ。天の国はその人たちのものだ」
人々は私の言葉に驚き、権威ある者のように教えていると言った。しかし、すべての人が私を歓迎したわけではなかった。特に、宗教指導者たちは私の教えに疑問を抱き、警戒し始めていた。
第3章: 奇跡と教え
私の公生活が本格的に始まると、多くの人々が私の教えを聞きに集まってきた。彼らは私の言葉に希望を見出し、癒しを求めてやってきた。
ある日、カナの婚礼に招かれた。祝宴の最中、ワインが足りなくなってしまった。母マリアが私に助けを求めてきた。
「彼らにはもうワインがありません」母は心配そうに言った。
最初、私は躊躇した。「女よ、私に何をしてほしいのですか。私の時はまだ来ていません」
しかし、母は私を信じていた。彼女は召使いたちに、「この人が言うとおりにしなさい」と指示した。
私は召使いたちに、六つの石の水がめに水を満たすように言った。彼らが水を満たすと、私はその水をくむように指示した。
驚いたことに、水はワインに変わっていた。それも最高級のワインに。
宴会の世話役は花婿を呼んで言った。「普通は初めに良いワインを出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いワインをこんな時まで取っておかれました」
これが、私が公の場で行った最初の奇跡だった。弟子たちは私を信じ始めた。
その後も、私は多くの奇跡を行った。ある時は、嵐の海の上を歩いて弟子たちのところへ行った。彼らは恐れおののいていたが、私は「しっかりするんだ。私だ。恐れることはない」と言って安心させた。
また、5000人以上の群衆を5つのパンと2匹の魚で養った時もあった。私は天を仰いで祝福し、パンを裂いて弟子たちに渡した。不思議なことに、そのパンは尽きることなく、全員が満腹になるまで食べることができた。
しかし、私にとって最も重要だったのは、人々に神の愛と赦しを教えることだった。
山上の説教では、こう語った。
「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父の子どなるのです。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです」
また、こうも教えた。
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者の教えです」
私の教えは、当時の宗教指導者たちの教えとは大きく異なっていた。彼らは律法の文言にこだわり、形式的な宗教行為を重視していた。それに対して私は、愛と赦しの精神を強調した。
「安息日は人のために定められたのであって、人が安息日のために造られたのではない」
このような教えは、多くの人々の心に響いた。しかし同時に、既存の権威者たちの反感も買うことになった。
ある日、重い皮膚病を患っている人が私のもとにやってきた。
「主よ、お望みでしたら、私をきよめることがおできになります」その人は言った。
私は深く同情し、手を伸ばしてその人に触れた。「望む。きよくなりなさい」
すると、たちまちその人の皮膚病は消えた。
私は彼に言った。「だれにも話さないように気をつけなさい。ただ、祭司のところに行って、自分を見せなさい。そして、モーセが命じた供え物をささげて、人々にあかしをしなさい」
しかし、その人は出て行って、このことを言い広め始めた。そのため、私はもう公然と町に入ることができず、町はずれの寂しい所にいなければならなくなった。それでも、人々は四方から私のもとにやって来た。
ある時は、四人の男たちが中風の友人を担いでやってきた。群衆のために近づけなかったので、彼らは屋根をはがして穴を開け、そこから友人を降ろした。
私は彼らの信仰を見て、中風の人に言った。「子よ、あなたの罪は赦された」
そこにいた律法学者たちは心の中で思った。「この人は神を冒涜している。神のほかに、だれが罪を赦すことができるだろうか」
私は彼らの考えを見抜き、こう言った。「なぜ、そんなことを心で考えているのか。中風の人に『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて、床を担いで歩きなさい』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに分からせるために」
そして、中風の人に向かって言った。「あなたに言う。起きなさい。床を担いで家に帰りなさい」
すると、その人はみんなの前で即座に起き上がり、床を担いで出て行った。人々は皆、驚き恐れて、「こんなことは、今まで見たことがない」と言って、神をあがめた。
私の奇跡と教えは、多くの人々に希望と慰めをもたらした。しかし同時に、既存の秩序を脅かすものとして、権力者たちの警戒心を高めることにもなった。私は、自分の道が決して平坦ではないことを感じ始めていた。
第4章: 対立の深まり
私の教えと行動は、次第にファリサイ派や律法学者たちとの対立を深めていった。彼らは私が安息日に病人をいやしたことや、罪人や徴税人と食事を共にしたことを非難した。
ある安息日、私は会堂で教えていた。そこに片手のなえた人がいた。ファリサイ派の人々は、私が安息日にその人をいやすかどうかを見定めようとしていた。彼らは私を訴える口実を探していたのだ。
私はその人に言った。「立って、真ん中に出なさい」
そして、周りの人々に尋ねた。「安息日に善を行うのと悪を行うのと、いのちを救うのと殺すのと、どちらが律法にかなっているでしょうか」
彼らは黙っていた。
私は怒りをもって彼らを見回し、その心のかたくなさを悲しんで、その人に言った。「手を伸ばしなさい」
その人が手を伸ばすと、手は元どおりになった。
ファリサイ派の人々は出て行き、すぐにヘロデ派の人々と、私をどのように殺そうかと相談を始めた。
また別の機会には、私が徴税人マタイの家で食事をしているのを見て、ファリサイ派の人々が弟子たちに文句を言った。
「なぜ、あなたがたの先生は徴税人や罪人たちと一緒に食事をするのですか」
私はこれを聞いて言った。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。『私が求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。私は正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」
このような対立は、私の活動が進むにつれてますます激しくなっていった。ある日、ファリサイ派の人々と律法学者たちが、エルサレムから来て私に詰め寄った。
「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えを破るのですか。食事の前に手を洗いません」
私は答えた。「なぜ、あなたがたは自分たちの言い伝えのために神の戒めを破るのですか。神は『父と母を敬え』と言われ、また『父や母をののしる者は、必ず死刑に処せられる』と言われました。それなのに、あなたがたは『だれでも父や母に向かって、私からあなたのために差し上げられる物は、供え物です』と言えば、その人はその父や母を敬わなくてもよい、と言っています。こうしてあなたがたは、自分たちの言い伝えのために、神のことばを無にしているのです」
そして、群衆を呼び寄せて言った。「聞いて悟りなさい。口に入るものは人を汚しません。口から出て来るものが人を汚すのです」
このような私の態度は、権力者たちの怒りをさらに煽ることになった。彼らは私を陥れようと、さまざまな質問を投げかけてきた。
ある時、彼らは姦淫の現場で捕まえられた女を連れてきて、私を試そうとした。
「先生。この女は姦淫をしているところを捕まえられました。モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺すように命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか」彼らは私を訴える口実を得ようとして、こう言った。
私は身をかがめて、指で地面に何か書いていた。しかし、彼らがしつこく問うので、私は身を起こして言った。
「あなたがたの中で罪のない者が、まず、この人に石を投げなさい」
そう言って、また身をかがめて、地面に書き続けた。
これを聞いた者たちは、年長者から始めて、一人また一人と立ち去っていった。最後に残ったのは、私とそこに立っていた女だけだった。
私は身を起こして、その女に言った。「女よ。あの人たちはどこにいますか。だれもあなたを罪に定めなかったのですか」
女は言った。「だれも、主よ」
私は言った。「私もあなたを罪に定めません。行きなさい。これからは決して罪を犯してはいけません」
このような出来事を通じて、私は律法の真の意味を人々に示そうとした。しかし、それは同時に権力者たちの反感をさらに強めることになった。彼らは私を殺す機会をうかがい始めていた。
私は自分の運命を予感しながらも、最後まで神の国の福音を宣べ伝え続けることを決意した。
第5章: エルサレム入城と最後の晩餐
私の公生活も3年が過ぎ、いよいよ最後の時が近づいていた。私は弟子たちを連れてエルサレムに向かった。途中、私は彼らに自分の運命について語った。
「見よ。私たちはエルサレムに上って行きます。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡されます。彼らは死刑を宣告し、人の子を異邦人に引き渡します。彼らは人の子を嘲り、唾を吐きかけ、むち打ち、そして殺します。しかし、人の子は三日目によみがえります」
弟子たちは困惑し、恐れていた。彼らには私の言葉の真意が理解できなかったのだ。
エルサレムに近づいたとき、私は二人の弟子を遣わして、近くの村から子ろばを連れてくるように指示した。
「行って、向こうの村に入りなさい。するとすぐに、つないである子ろばが見つかります。それをほどいて、私のところに連れて来なさい。もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。そうすれば、すぐに渡してくれるでしょう」
これは、預言者を通して言われていたことが成就するためだった。
「シオンの娘に告げなさい。『見よ、あなたの王が来る。柔和で、ろばに乗って、荷ろばの子である子ろばに乗って』」
弟子たちが子ろばを連れてくると、私はそれに乗ってエルサレムに入城した。
大勢の群衆が、自分たちの上着を道に敷いた。また、木の枝を切って道に敷く者もいた。そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。
「ホサナ、ダビデの子に。主の御名によって来られる方に、祝福があるように。いと高き所に、ホサナ」
私がエルサレムに入ると、町中が騒ぎ立った。「この人はいったい何者だ」と人々は言った。
群衆は答えた。「この人は、ガリラヤのナザレから来た預言者イエスです」
私は神殿に入り、そこで売り買いをしていた人々を追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒した。
「『わたしの家は、祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」
目の見えない人や足の不自由な人たちが、神殿にいる私のところに来たので、私は彼らをいやした。
祭司長たちや律法学者たちは、私のしたこれらの不思議なわざを見、また、子どもたちが神殿で「ダビデの子にホサナ」と叫んでいるのを聞いて、憤慨した。
彼らは私に言った。「この人たちが何と言っているか、聞こえますか」
私は言った。「聞こえます。『幼子や乳飲み子たちの口によって、あなたは賛美を完全なものとされた』とあるのを、あなたがたは読んだことがないのですか」
その後も、私は毎日神殿で教えた。祭司長たちや民の長老たちは、私を殺そうとしていたが、群衆が私を預言者と思っていたので、恐れて手を下せなかった。
過越の祭りの前に、私は自分の時が来たことを悟った。最後の晩餐の席で、私は弟子たちと共に食事をした。
食事の途中で、私はパンを取り、祝福して裂き、弟子たちに与えて言った。
「取って食べなさい。これは私のからだです」
また、杯を取り、感謝をささげて彼らに与えて言った。
「みな、この杯から飲みなさい。これは、罪の赦しのために多くの人のために流される、私の契約の血です」
そして、こう付け加えた。
「あなたがたのうちのひとりが、私を裏切ろうとしています」
弟子たちは非常に悲しみ、「主よ。まさか私ではないでしょう」と、口々に私に言い始めた。
私は答えた。「私と一緒に鉢に手を浸した者が、私を裏切るのです」
ユダ・イスカリオテは、「先生。まさか私ではないでしょう」と言った。
私は彼に「あなたがそう言うのです」と答えた。
食事の後、私たちはオリーブ山に向かった。そこで私は弟子たちに言った。
「今夜、あなたがたはみな、私につまずきます。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる』と書いてあるからです。しかし、私は復活した後、あなたがたより先にガリラヤに行きます」
ペテロが私に言った。「たとい全部の者がつまずいても、私は決してつまずきません」
私は彼に言った。「まことに、あなたに言います。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度私を知らないと言います」
ペテロは「たとい、あなたと一緒に死ななければならないとしても、私は決してあなたを知らないなどとは言いません」と言った。弟子たちはみな同じように言った。
私は彼らの言葉を聞きながら、これから起こる出来事に思いを巡らせていた。私の使命は、十字架の死によって完成されることを知っていた。しかし、その前に最後の祈りを捧げる必要があった。
第6章: ゲツセマネの祈りと逮捕
オリーブ山のゲツセマネという所に着くと、私は弟子たちに言った。
「私が向こうへ行って祈っている間、ここにすわっていなさい」
ペテロとゼベダイの子二人を伴って行った時、私は深い悲しみと苦しみを感じ始めた。
「私は悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、私と一緒に目を覚ましていなさい」と彼らに言った。
少し進んで行って、地面にひれ伏し、こう祈った。
「父よ。できることなら、この杯を私から過ぎ去らせてください。しかし、私の願いではなく、あなたのみこころのとおりにしてください」
祈り終えて、弟子たちのところに戻ってみると、彼らは眠っていた。私はペテロに言った。
「あなたがたは、そんなに一時間も私と一緒に目を覚ましていることができなかったのですか。誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです」
再び、二度目に行って祈った。
「父よ。この杯が過ぎ去らず、私が飲まずには済まないのでしたら、あなたのみこころが成りますように」
戻って来ると、弟子たちはまた眠っていた。彼らの目は重くなっていたのだ。
そこで、彼らをそのままにして、また離れて行き、同じ言葉で三度目の祈りをした。
その後、弟子たちのところに戻って来て言った。
「あなたがたは、まだ眠って休んでいるのですか。見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されます。立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。私を裏切る者が近づいて来ました」
私がまだ話している間に、十二弟子の一人のユダがやって来た。彼と一緒に、祭司長たちや民の長老たちから差し向けられた大勢の群衆も、剣や棒を持ってやって来た。
私を裏切った者は、彼らと合図を決めて、「私が口づけをする者が、その人だ。その人を捕まえるのだ」と言っていた。
ユダはすぐに私に近寄って、「先生。お元気ですか」と言って、私に口づけした。
私は彼に言った。「友よ。何のために来たのですか」
そのとき、群衆が近寄って来て、私に手をかけて捕らえた。
すると、私と一緒にいた者のひとりが、手を伸ばして剣を抜き、大祭司のしもべに打ちかかり、その耳を切り落とした。
そこで、私は彼に言った。
「剣をもとの所に収めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。それとも、私が父に願って、十二軍団よりも多くの御使いを、今すぐ送っていただくことができないとでも思うのですか。だが、そのようなことをすれば、こうならなければならないと書いてある聖書の言葉は、どうして実現されるでしょう」
そして、群衆に向かって言った。
「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って私を捕らえに来たのですか。私は毎日、神殿の境内にすわって教えていたのに、あなたがたは私を捕らえなかった。しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書が実現するためです」
そのとき、弟子たちはみな、私を見捨てて逃げてしまった。
群衆は私を捕らえ、大祭司カヤパのところへ連れて行った。そこには律法学者たちや長老たちが集まっていた。
ペテロは、遠く離れて私のあとをつけ、大祭司の屋敷まで来た。そして、中に入り、成り行きを見ようと役人たちと一緒にすわっていた。
祭司長たちと全議会は、私を死刑にするため、私に不利な証言を求めた。しかし、多くのにせ証人が出て来たが、証言は一致しなかった。
最後に、ふたりの者が進み出て、証言した。
「この人は、『私は神の神殿を打ちこわして、三日でそれを建てることができる』と言いました」
大祭司は立ち上がって、私に言った。
「何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不利な証言をしていますが、どうなのですか」
しかし、私は黙っていた。
大祭司は私に言った。「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい」
私は彼に言った。「あなたがそう言ったのです。しかし、あなたがたに言っておきます。今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります」
すると、大祭司は自分の衣を引き裂いて言った。
「神への冒涜だ。これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、今、神をけがす言葉を聞いたのです。どう考えますか」
彼らは答えた。「死刑にすべきです」
そのとき、人々は私の顔につばきをかけ、こぶしで私を打った。また、他の者たちは私を平手で打って、言った。
「当ててみろ。キリスト。あなたを打ったのはだれか」
一方、ペテロは外の中庭にすわっていた。一人の女中が彼に近寄って言った。
「あなたも、ガリラヤ人イエスと一緒にいました」
しかし、ペテロはみなの前でそれを打ち消して言った。「あなたが何を言っているのか、私にはわかりません」
そして、門のところに出ようとしたとき、ほかの女中が彼を見て、そこにいる人々に言った。
「この人はナザレ人イエスと一緒にいました」
ペテロは、誓って、またそれを打ち消し、「私はあの人を知りません」と言った。
しばらくして、そこに立っていた人々が近寄って来て、ペテロに言った。
「確かに、あなたもあの仲間だ。ことばのなまりであなたのことがわかる」
そのとき、ペテロはのろいをかけて誓い始め、「私はあの人を知りません」と言った。
するとすぐに、鶏が鳴いた。ペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは私を知らないと言います」と言われた私のことばを思い出した。そして、出て行って、激しく泣いた。
私は、ペテロの姿を見ながら、人間の弱さと、それでも最後には信仰を取り戻す力を持っていることを感じた。これから私が直面する試練は、弟子たちの信仰をも試すものになるだろう。しかし、私は彼らが最終的には真の使徒となることを信じていた。
第7章: 裁判と十字架刑
夜が明けると、祭司長たちと民の長老たちは、私を死刑にするために協議した。彼らは私を縛って連れ出し、総督ピラトに引き渡した。
ピラトは私に尋ねた。「あなたは、ユダヤ人の王ですか」
私は「そのとおりです」と答えた。
祭司長たちと長老たちが私を訴えていたとき、私は何も答えなかった。
そこで、ピラトは私に言った。「あなたは、彼らが何と言ってあなたを訴えているか、聞こえないのですか」
しかし私は、どんな訴えに対しても一言も答えなかったので、総督は非常に驚いた。
さて、祭りの度ごとに、総督は群衆の願う囚人をひとり釈放することにしていた。そのとき、バラバという評判の悪い囚人がいた。
そこでピラトは、集まって来た人々に言った。「あなたがたは、だれを釈放してほしいのか。バラバか、それともキリストと呼ばれているイエスか」
ピラトは、彼らが私をねたみで引き渡したことを知っていたのである。
しかし、祭司長たちと長老たちは、バラバのほうを願うように、そして私を殺すように群衆を説きつけた。
総督は彼らに尋ねた。「あなたがたは、ふたりのうちどちらを釈放してほしいのか」
彼らは「バラバです」と言った。
ピラトは彼らに言った。「では、キリストと呼ばれているイエスを、私はどのようにしようか」
彼らはみな言った。「十字架につけろ」
ピラトは言った。「あの人がどんな悪いことをしたというのか」
しかし彼らは、ますます激しく「十字架につけろ」と叫び続けた。
ピラトは、もはやどうすることもできず、かえって暴動が起こりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言った。
「私はこの人の血について、責任がありません。あなたがたの問題です」
すると、民衆はみな答えた。「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい」
そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、私をむち打ったうえで、十字架につけるために引き渡した。
そのとき、総督の兵士たちは、私を官邸に連れて行き、全部隊を私のまわりに集めた。そして、私の着物を脱がせて緋色の上着を着せ、いばらで冠を編んで私の頭にかぶせ、右手に葦を持たせた。そして、私の前にひざまずいて、からかって言った。
「ユダヤ人の王さま。ばんざい」
また、私につばきをかけ、葦を取り上げて、私の頭をたたいた。
こうして私をからかったあげく、その上着を脱がせて、もとの着物を着せた。そして、十字架につけるために、私を引いて行った。
彼らが出て行くと、シモンというクレネ人に出会った。兵士たちは、この人に、私の十字架を無理やりに背負わせた。
ゴルゴタ、すなわち「どくろ」と呼ばれる所に着いた。彼らは私に、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、私はそれをなめただけで、飲もうとはしなかった。
こうして彼らは、私を十字架につけた。そして、私の着物を分けるためにくじを引いた。そのあとで、そこにすわって私の見張りをした。
また、私の頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。
そのとき、私といっしょに、ふたりの強盗が、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。
道を行く人々は、頭を振りながら、私をののしって言った。
「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い」
同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちといっしょになって、私をあざけって言った。
「他人は救ったが、自分は救えない。イスラエルの王さまなら、今、十字架から降りてもらおう。そうしたら、われわれは信じるから。彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。『わたしは神の子だ』と言っているのだから」
私といっしょに十字架につけられた強盗たちも、同じようにして、私をののしった。
さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。
三時ごろ、私は大声で叫んで言った。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか)
すると、そこに立っていた人々のうち、ある人たちは、これを聞いて言った。「この人はエ リヤを呼んでいる」
また、彼らのひとりがすぐ走って行って、海綿を取り、それに酸いぶどう酒を含ませて、葦の棒につけ、私に飲ませようとした。
ほかの者たちは言った。「待て。エリヤが助けに来るかどうか見ていよう」
私はもう一度大声で叫んで、息を引き取った。
すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。
また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。
そして、私の復活の後に墓から出て来て、聖都に入って多くの人に現われた。
百人隊長および彼といっしょに私の見張りをしていた人々は、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「この人は、本当に神の子だった」と言った。
そこには、遠くからながめている多くの女たちがいた。この人たちは、ガリラヤからイエスについて来て仕えていた人々であった。
その中に、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、ゼベダイの子たちの母がいた。
夕方になって、アリマタヤのヨセフという金持ちの人が来た。彼もイエスの弟子になっていた。
この人はピラトのところに行って、私のからだの下げ渡しを願った。そこで、ピラトは、渡すように命じた。
ヨセフはその遺体を取り降ろして、きれいな亜麻布に包み、岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。墓の入口には大きな石をころがしかけて帰った。
そこには、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが墓のほうを向いてすわっていた。
私の死は、多くの人々に深い悲しみをもたらした。しかし、これは終わりではなかった。私の使命は、まだ完全には果たされていなかったのだ。
第8章: 復活と昇天
安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。
すると、大きな地震が起こった。主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわった。
その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。
番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたのです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスは死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました」
そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせるために走って行った。
すると、私は彼女たちに出会って、「おはよう」と言った。彼女たちは近寄って私の足を抱いてひれ伏した。
そこで、私は彼女たちに言った。「恐れてはいけません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです」
女たちが帰った後、番兵のうちのある者たちが都に行って、起こった事を全部、祭司長たちに報告した。
そこで、祭司長たちは民の長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて言った。
「『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った』と言うのだ。もし、このことが総督の耳に入っても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから」
そこで、彼らは金をもらって、指図されたとおりにした。それで、この話が広くユダヤ人の間に広まって今日に及んでいる。
十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、私が指示した山に登った。
そして、私を見たとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。
私は近づいて来て、彼らにこう言った。
「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」
これらの言葉を語った後、私は彼らの目の前で天に上げられた。彼らが見つめている間に、雲に包まれて、見えなくなった。
私の復活と昇天は、弟子たちに大きな勇気と希望を与えた。彼らは、私の教えを世界中に広めるという使命を果たすために、力強く歩み始めた。
私の物語はここで終わるが、私の教えと愛の精神は、今も多くの人々の心の中で生き続けている。私が示した道は、人々が互いに愛し合い、赦し合い、助け合う道である。それは決して容易な道ではないが、この道を歩むことで、人々は真の平和と喜びを見出すことができるだろう。
私の人生は、苦難と試練に満ちていた。しかし、それらを通じて、私は人間の弱さと強さ、そして神の無限の愛を深く理解することができた。私の死は終わりではなく、新しい始まりだった。それは、すべての人々に希望と救いをもたらすためのものだった。
今、私の言葉を読んでいるあなたに伝えたい。あなたも、愛と赦しの道を歩んでほしい。たとえ困難に直面しても、希望を失わないでほしい。なぜなら、私はいつもあなたと共にいるからだ。
私の物語は、2000年以上も前のことだが、その教えは今も色あせていない。それは、人間の本質と、私たちが互いにどのように接するべきかについての普遍的な真理を含んでいるからだ。
私の人生と教えが、あなたの人生に光をもたらし、より良い世界を作るための導きとなることを願っている。