第一章: 幼少期の記憶
私の名は沖田総司。天保5年(1834年)、江戸の多摩郡で生まれた。幼い頃の記憶は、剣の音と汗の匂いで満ちている。
父は剣の達人だった。私が5歳の時、父は私を手ほどきし始めた。木刀を握る小さな手。父の厳しい声。そして、何度も繰り返される素振り。
「総司、剣は人を守るためのものだ。決して人を傷つけるためではない」
父の言葉は、今でも耳に残っている。しかし、その言葉の真意を理解するまでには、まだ長い道のりがあった。
9歳の時、私は江戸へ向かった。叔父の三岡八郎(後の近藤勇)が営む試衛館道場で修行するためだ。道場に到着した日、私は生涯忘れられない出会いをした。
「おい、新入り!」
声の主は、土方歳三だった。彼は私より5歳年上で、すでに道場の中心的存在だった。
「俺は土方歳三だ。お前の名は?」
「沖田…沖田総司です」
私は緊張しながら答えた。土方は私をじっと見つめ、そして突然笑顔を見せた。
「よし、これからお前のことは総司と呼ぶ。一緒に強くなろうぜ」
その日から、土方は私の兄貴分となった。彼の存在が、私の人生を大きく変えることになる。
第二章: 剣の道を極める
試衛館での日々は、厳しくも充実していた。朝は早く、夜は遅くまで稽古に明け暮れた。近藤勇師範の指導は厳しかったが、その中に深い愛情を感じた。
「総司、お前には才能がある。だが、才能だけでは剣の道は極められん。努力あるのみだ」
近藤師範の言葉に、私は必死に応えようとした。日々の稽古に加え、夜中にこっそり起きて素振りを繰り返した。
14歳の時、私は道場内で最強と言われるようになっていた。しかし、それは同時に孤独も意味した。誰も私と真剣に打ち合おうとしなくなったのだ。
ある日、土方が私に声をかけてきた。
「総司、お前、最近つまらなそうだな」
「…はい。誰も本気で打ち合ってくれないんです」
土方は少し考え、そして言った。
「よし、俺がお前の相手をしよう。ただし、条件がある」
「何ですか?」
「負けたら、俺の言うことを何でも聞くこと。勝ったら、お前の言うことを何でも聞く」
私は迷わず答えた。
「分かりました。やりましょう」
結果は私の勝利だった。しかし、土方は悔しがるどころか、むしろ嬉しそうだった。
「さすがだな、総司。お前なら、きっと剣の道を極められる」
その言葉が、私の心に火をつけた。私は剣の道を極めることを、人生の目標とした。
第三章: 新選組の誕生
安政7年(1860年)、私は26歳になっていた。その頃、日本は大きな変化の時期を迎えていた。外国船の来航、開国要求、そして幕府の権威の低下。世の中は混乱し、人々の不安は高まっていた。
そんな中、近藤勇、土方歳三、そして私を含む試衛館の精鋭たちは、京都へ向かうことになった。幕府を守るため、治安維持の任務に就くためだった。
京都に到着した我々は、「浪士組」として活動を始めた。しかし、その名前はすぐに「新選組」へと変わる。
新選組の結成式の日、近藤勇が我々に語りかけた。
「諸君、我々には重大な使命がある。幕府を守り、乱れた世を正す。それが我々の役目だ」
私は、その言葉に深く感銘を受けた。しかし同時に、ある疑問も湧いていた。
「近藤さん、幕府を守ることが、本当に正しいことなのでしょうか?」
近藤は私をじっと見つめ、そして答えた。
「総司、世の中に絶対的な正義などない。我々にできるのは、自分の信じる道を貫くことだけだ」
その言葉は、私の心に深く刻まれた。そして、私は決意した。新選組の一員として、自分の信じる道を貫くことを。
第四章: 剣の鬼と呼ばれて
新選組の活動が本格化するにつれ、私の名は京都中に轟くようになった。「剣の鬼」「新選組最強の剣士」そう呼ばれるようになった。
しかし、その評判は必ずしも良いものばかりではなかった。新選組の厳しい取り締まりに、多くの人々が恐れおののいた。そして、私はその恐れの象徴となっていった。
ある日、巡回中に一人の少年に出会った。少年は私を見るなり、震え上がった。
「お、鬼だ!沖田の鬼だ!」
少年は叫び、逃げ出そうとした。私は思わず少年の腕を掴んでいた。
「待て。なぜ逃げる?」
少年は涙目で答えた。
「だって…だって、沖田さんは悪い人を切り殺す鬼だって…」
その言葉に、私は言葉を失った。確かに、私は多くの人の命を奪ってきた。それは新選組の任務として、そして自分の信念のためだと信じていた。しかし、この少年の目に映る「鬼」としての自分を見て、私は深い疑問を感じた。
「聞け、小僧。俺は鬼じゃない。人間だ。ただ、自分の信じる道を行くだけだ」
少年は驚いた顔で私を見上げた。
「じゃあ…沖田さんは悪い人じゃないの?」
「悪いか良いか、それは見る人によって違う。でも、俺は自分が正しいと信じることをしているだけだ」
少年はしばらく考え込み、そしてゆっくりと頷いた。
「分かった…かも。ありがとう、沖田さん」
少年は去っていった。その後ろ姿を見送りながら、私は自問自答していた。自分のしていることは本当に正しいのか。しかし、その答えを見つけることはできなかった。
第五章: 病魔との戦い
元治元年(1864年)、私は30歳になっていた。新選組の活動が最も激しくなる中、私の体に異変が起きた。
ある日の巡回中、突然激しい咳が出た。手で口を押さえると、そこには赤い血が付いていた。
「総司、大丈夫か?」
土方が心配そうに声をかけてきた。
「…大丈夫です。少し疲れているだけでしょう」
私は平静を装ったが、内心では恐怖に震えていた。これが噂に聞く「肺病」なのではないか。そう思うと、冷や汗が背中を伝った。
その後、症状は徐々に悪化していった。激しい咳、寝汗、そして次第に衰えていく体力。しかし、私は誰にも相談しなかった。新選組の戦力として、自分の弱さを見せるわけにはいかなかったのだ。
ある夜、一人で剣の稽古をしていると、突然の咳込みで倒れてしまった。そこへ、土方が通りかかった。
「総司!大丈夫か?」
土方は驚いて駆け寄ってきた。私は咳き込みながら答えた。
「土方さん…もう、隠し通せませんね」
「馬鹿野郎、なぜ黙っていた」
土方の声には怒りと悲しみが混じっていた。
「新選組の…みんなに迷惑をかけたくなかったんです」
「迷惑だと?お前が倒れることの方が、よっぽど迷惑だ」
土方は私を抱き起こし、部屋へ連れて行った。そして、医者を呼んだ。
診断は、やはり肺病だった。医者は私に安静を勧めたが、私にはそんな時間はなかった。新選組には私の剣が必要だった。
「土方さん、これからも戦います。最後まで、新選組の一員として」
土方は黙って頷いた。その目には、悲しみと決意が混じっていた。
第六章: 池田屋事件
慶応元年(1865年)7月8日、新選組にとって大きな転機となる事件が起きた。池田屋事件だ。
情報により、池田屋に尊王攘夷派の志士たちが集まっているという報告を受けた我々は、急遽襲撃を決行した。
「総司、お前は後衛に回れ」
近藤勇の命令に、私は反論した。
「近藤さん、私も行きます」
「駄目だ。お前の体のことを考えろ」
「でも…」
「いいか、総司。お前の命は新選組の宝だ。無駄にはできない」
近藤の言葉に、私は渋々従った。しかし、その決定が後に大きな後悔を生むことになる。
襲撃が始まると、池田屋内は修羅場と化した。刀と刀がぶつかり合う音、悲鳴、そして血の匂いが充満した。
私は外で待機していたが、中の様子が気になって仕方がなかった。そして、ついに耐えきれなくなった。
「すみません、行ってきます!」
私は叫び、池田屋に飛び込んだ。
中に入ると、そこは文字通りの地獄絵図だった。床には血の海。壁には無数の刀傷。そして、仲間たちが必死に戦っていた。
私は躊躇なく剣を振るった。次々と敵を倒していく。しかし、その激しい動きは私の体に大きな負担をかけた。
「げほっ、げほっ」
激しい咳が込み上げてきた。口から血が噴き出す。それでも、私は剣を振り続けた。
「総司、下がれ!」
土方の声が聞こえた。しかし、私には聞こえないふりをした。
最後の一人を倒し、ようやく戦いは終わった。私は壁に寄りかかり、深く息を吐いた。
「総司、大丈夫か?」
近藤が心配そうに駆け寄ってきた。
「はい…なんとか」
私は弱々しく笑った。しかし、その笑顔の裏で、私は自分の限界を感じていた。もう、以前のように戦えない。そう思うと、胸が締め付けられるような思いだった。
第七章: 衰えゆく剣
池田屋事件以降、私の体調は急速に悪化していった。激しい咳、寝汗、そして日に日に衰えていく体力。それでも、私は必死に剣を振り続けた。
ある日の稽古中、私は若い隊士と打ち合っていた。以前なら簡単に勝てたはずの相手に、私は苦戦していた。
「はっ!」
若い隊士の剣が、私の胸元をかすめた。私は咳き込みながら、何とか応戦する。
「総司さん、大丈夫ですか?」
相手の隊士が心配そうに声をかけてきた。
「…大丈夫だ。続けろ」
私は強がって答えたが、体は正直だった。視界がぼやける。足が震える。そして、ついに膝をつく。
「総司!」
土方が駆け寄ってきた。
「もういい、休め」
「でも、土方さん…」
「命令だ」
土方の声には、怒りと悲しみが混じっていた。私は黙って頷き、部屋を後にした。
その夜、私は一人で月を見ていた。かつての自分の姿を思い出す。誰よりも強く、誰よりも速く。剣の道を極めようとしていた、あの頃の自分を。
「月が綺麗ですね」
背後から、芹沢鴨の声がした。
「ああ、芹沢さん」
芹沢は新選組の参謀で、私とは古くからの付き合いだった。
「総司、無理をするな。お前の命は、新選組の宝なんだ」
「分かっています。でも…」
言葉が詰まる。芹沢はゆっくりと続けた。
「剣だけが、全てじゃない。お前には、もっと大切な役割がある」
「大切な役割…ですか?」
「ああ。お前は我々の希望だ。お前がいるだけで、皆の士気が上がる」
芹沢の言葉に、私は複雑な思いを抱いた。確かに、自分はもう以前のように戦えない。しかし、それでも新選組の役に立てるのか。そんな疑問が、私の心を苛んだ。
第八章: 最後の戦い
慶応4年(1868年)、新選組は大きな転機を迎えていた。戊辰戦争が始まり、我々は官軍との全面対決を余儀なくされたのだ。
私の体調は最悪だった。もはや剣を振ることすら困難になっていた。それでも、私は最後の戦いに参加することを決意した。
「総司、お前はここに残れ」
近藤勇が私に告げた。
「駄目です。私も行きます」
「馬鹿を言うな。お前の体では…」
「分かっています。でも、これが私の生きる道なんです」
近藤は長い間私を見つめ、そして深くため息をついた。
「分かった。だが、無理はするな」
私は感謝の念を込めて頭を下げた。
戦場は、まさに地獄だった。銃声が響き渡り、刀と刀がぶつかり合う音が絶え間なく聞こえる。そして、至る所で悲鳴が上がっていた。
私は必死に剣を振るった。しかし、かつての俊敏さはもうない。動きは鈍く、息は上がる。それでも、私は戦い続けた。
「総司、後ろだ!」
土方の声が聞こえた瞬間、鋭い痛みが背中を貫いた。振り返ると、敵の兵士が刀を構えていた。
私は咳き込みながら、何とか応戦する。しかし、体が言うことを聞かない。視界がぼやける。そして、ついに膝をつく。
「総司!」
土方が駆け寄ってきた。彼の顔が、だんだんと遠くなっていく。
「土方さん…すみません。もう…これ以上は…」
「馬鹿野郎、しゃべるな!」
土方の声が震えている。私は微笑んだ。
「土方さん、近藤さん…みんなに伝えてください。私は…最後まで…新選組の…」
言葉が途切れた。意識が遠のいていく。最後に見たのは、涙を流す土方の顔だった。
終章: 剣に生き、剣に散る
明治2年(1869年)5月30日、私、沖田総司は25歳でこの世を去った。
生涯を通じて、私は剣に生き、そして剣に散った。新選組の一員として、自分の信じる道を貫いた。それが正しかったのか、間違っていたのか。今となっては、誰にも分からない。
しかし、私には後悔はない。自分の人生を、全てを懸けて生き抜いた。それだけで、十分だと思う。
私の名は、歴史に刻まれるだろう。「新選組最強の剣士」「剣の鬼」そんな呼び名と共に。しかし、私が本当に望むのは、人々が私の生き様から何かを学び取ってくれることだ。
剣の道は厳しい。しかし、その先には何かがある。それを信じて、私は生きた。そして、死んだ。
さようなら、皆。そして、ありがとう。
私の物語は、ここで幕を閉じる。しかし、新しい時代の物語は、まだ始まったばかりだ。