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諸葛亮孔明 | 偉人ノベル
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諸葛亮孔明物語

アジア世界史
年表
181年
0才
誕生
207年
26才
三顧の礼
208年
27才
赤壁の戦い
211年
30才
荊州占領に尽力
214年
33才
益州攻略に参加
221年
40才
蜀漢建国、丞相に任命
223年
42才
劉備死去。後継者の劉禅を補佐
225年
44才
南蛮の反乱を平定
228年
47才
第一次北伐
229年
48才
第二次北伐
230年
49才
第三次北伐
231年
50才
第四次北伐
234年
53才
第五次北伐
234年
54才
死去
物語の長さ
4分11分

第一章:幼き日々と学問の道

私の名は諸葛亮、字は孔明。後の世に軍師として名を馳せることになるが、幼い頃は平凡な田舎の少年だった。

生まれたのは漢の時代、今から千八百年以上も昔のことだ。幼い頃に両親を亡くし、叔父の諸葛玄に育てられた。叔父は私を実の子のように可愛がってくれたが、同時に厳しい教育者でもあった。

「亮や、お前には才能がある。しかし、才能だけでは世の中を渡っていけぬ。学問に励み、人として正しい道を歩むのだ」

叔父の言葉は、私の心に深く刻まれた。毎日、日が昇る前から日が沈むまで、四書五経を学び、歴史書を読みふけった。時には難しすぎて理解できないこともあったが、そんな時は友人の龐統と議論を交わした。

「孔明、お前の考えは面白いな。だが、もっと深く考えてみろよ」

龐統との議論は、いつも刺激的だった。彼の鋭い洞察力に触発され、私も更に思考を深めていった。

学問の傍ら、農作業も手伝った。汗を流しながら土を耕す中で、民の苦しみを肌で感じ取ることができた。これが後の政治家としての基礎となるとは、当時の私には想像もつかなかった。

第二章:隠居生活と運命の出会い

二十歳を過ぎた頃、私は南陽の隆中に隠居した。世間では群雄割拠の戦乱が続いていたが、私はその喧騒から離れ、静かに学問を続けていた。

ある日、私の噂を聞きつけた劉備が訪ねてきた。彼は三度も足を運んでくれたが、最初の二度は会わなかった。なぜなら、彼の本気度を試したかったからだ。

三度目に訪れた劉備に、私は会うことにした。彼の熱意に、私の心が動いたのだ。

「孔明殿、どうか私に天下三分の計をお聞かせください」

劉備の真摯な眼差しに、私は心を開いた。そして、天下三分の計を語り始めた。

「今、天下は分裂しています。曹操が北方を、孫権が南方を支配しています。しかし、民は安寧を求めています。我々は西方に根拠地を築き、民の信頼を得ながら力を蓄えるべきです」

劉備は熱心に聞き入り、私の言葉一つ一つに頷いていた。その姿に、私は彼の誠実さを感じ取った。

「孔明殿、私と共に天下のために働いてはくれませんか」

劉備の言葉に、私は深く考え込んだ。隠居生活を捨て、乱世に身を投じることへの不安もあった。しかし、劉備の志に共鳴した私は、ついに決意を固めた。

「劉備殿、私はあなたに仕えることを決意しました。民のため、天下のため、共に力を尽くしましょう」

こうして、私の人生は大きく転換した。平和な隠居生活から、激動の時代へと足を踏み入れたのだ。

第三章:三国時代の幕開けと蜀漢の建国

劉備に仕えることを決意してから、私の日々は激動の連続だった。曹操の大軍と戦い、幾度となく危機に瀕した。しかし、その度に知恵を絞り、窮地を脱した。

赤壁の戦いでは、東呉の周瑜と協力し、曹操の大軍を破った。火攻めの策を提案したのは私だが、実行したのは周瑜だ。彼の勇気と決断力には、今でも敬意を表している。

「孔明、お前との戦いは面白かったぞ。だが、次は負けんぞ」

戦いの後、周瑜はそう言って笑った。彼との知略の戦いは、私にとって大きな刺激となった。

蜀漢の建国は、決して平坦な道のりではなかった。劉備は幾度となく挫折を味わったが、その度に立ち上がった。私は彼の側で、できる限りの助言を行った。

「劉備殿、民の心をつかむことが何より大切です。仁政を行い、民の信頼を得ましょう」

私の助言を聞き、劉備は常に民のことを第一に考えた。そんな彼の姿に、私は心から仕えようと決意を新たにした。

建安二十三年、ついに蜀漢が建国された。劉備が皇帝となり、私は丞相として仕えることになった。しかし、これは終わりではなく、新たな戦いの始まりだった。

第四章:南蛮征伐と北伐

蜀漢の建国後、南方の蛮族が反乱を起こした。劉備は高齢だったため、私が出陣することになった。

南蛮の首領・孟獲は勇猛な戦士だったが、戦略に欠けていた。私は彼を七度捕らえ、七度解放した。

「なぜ私を殺さない?」

捕らえられる度に、孟獲は不思議そうに尋ねた。私は答えた。

「あなたの心を得るためです。あなたが心から服従すれば、南方は安定するでしょう」

七度目に捕らえられた孟獲は、ついに心から服従した。こうして南方は平定され、蜀漢の統治が及ぶことになった。

その後、私は北伐を決意した。魏を討ち、漢王朝の復興を果たすためだ。しかし、これは容易な戦いではなかった。

五度の北伐を行ったが、いずれも大きな成果を上げることはできなかった。それでも、私は諦めなかった。漢王朝復興の夢を胸に、最後まで戦い続けた。

第五章:晩年と別れ

幾度もの戦いを経て、私の体力は衰えていった。それでも、漢王朝復興の志は揺るがなかった。

最後の北伐の途中、私は重い病に倒れた。もはや回復の見込みがないことを悟った私は、後事を託すべく、部下たちを集めた。

「諸君、私の時間はもう長くない。しかし、漢王朝復興の志は、諸君に託す。どうか、最後まで諦めないでくれ」

部下たちは涙を流しながら頷いた。彼らの姿に、私は安堵の念を覚えた。

そして、私は最後の言葉を残した。

「星落ち、露結ぶ。長きにわたる人生だった」

こうして、私の生涯は幕を閉じた。しかし、私の志は部下たちに引き継がれ、後の世にも語り継がれることになる。

乱世を生き抜き、民のために尽くした私の人生。それが後世の人々の心に残り、何かの指針となれば、これ以上の幸せはない。

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