第一章 蜀の地にて
私の名は楊玉環。後に楊貴妃として歴史に名を残すことになる女です。私は開元7年(719年)、蜀の地の裕福な役人の家に生まれました。幼い頃から、周りの人々は私の美しさを褒めそやしていました。
「玉環、またひとつ大きくなったわね。あなたの肌は本当に美しい」
母は私の髪を梳きながら、いつもそう言っていました。確かに、鏡に映る私の姿は、白磁のように透き通るような肌をしていました。
私には三人の姉がいました。四姉妹の末っ子として、甘やかされて育ちました。でも、それは決して怠惰な生活ではありませんでした。
「玉環、琴の練習はどう?」
「はい、父上。毎日欠かさず練習しています」
父は教養を重んじる人でした。音楽、詩文、書道。これらの芸事を私たち姉妹に厳しく教え込みました。特に私は音楽の才能があったようで、琴を弾くのが大好きでした。
第二章 寿王の妃として
私が十六歳になった年、思いもよらぬ出来事が起こりました。玄宗皇帝の息子である寿王李瑁の妃として選ばれたのです。
「玉環、これはとても名誉なことだ」
父の声は誇らしげでしたが、どこか悲しみも含んでいました。
長安に向かう馬車の中で、私は自分の運命について考えていました。皇族の妃になるということは、どういうことなのでしょうか。不安と期待が入り混じる中、私は新しい人生への一歩を踏み出しました。
寿王との結婚生活は、それほど長くは続きませんでした。確かに贅沢な暮らしではありましたが、寿王は私にそれほど関心を示しませんでした。そして、思いもよらない展開が待っていました。
第三章 運命の転換
ある日、玄宗皇帝が寿王邸を訪れました。その時、私と皇帝の目が合った瞬間、空気が凍りついたように感じました。
後に私は道士となり、長安の道観に入ることになります。これは表向きの話です。実際には、玄宗皇帝が私に心を寄せ、息子の妃である私を自分のものにするための方便でした。
「玉環、お前を貴妃にしたい」
玄宗皇帝からそう告げられた時、私は複雑な思いでした。息子の妃から父の貴妃になるということは、どう考えても常識では許されないことです。しかし、それは皇帝の意志でした。拒否する選択肢など、私にはありませんでした。
第四章 貴妃となって
開元29年(741年)、私は正式に楊貴妃となりました。玄宗皇帝は当時すでに五十代後半。私はまだ二十代前半でした。
宮廷での生活は、私の想像をはるかに超えるものでした。絢爛豪華な宮殿、数え切れないほどの侍女たち、そして限りない贅沢。しかし、それと同時に、計り知れない重圧もありました。
「貴妃、今日は何を召し上がりたいですか?」
侍女たちは私の一挙手一投足に気を配り、私の望むものは何でも用意されました。特に食事には贅を尽くし、遠く蜀の地からライチを運ばせたこともありました。
しかし、この贅沢な暮らしは、やがて批判の的となっていきます。
第五章 権力の味
私は次第に、自分の立場を利用するようになっていきました。特に、私の一族である楊氏一族の者たちを、次々と重要な地位に就けていきました。
「姉上、これで私たち楊氏の繁栄は確実なものとなりましたね」
私の姉の楊華清に語りかけた言葉です。確かに、楊氏一族は私の影響力によって、かつてない栄華を極めました。しかし、それは同時に、多くの人々の反感を買うことにもなりました。
玄宗皇帝は私に夢中でした。私の言うことは何でも聞き入れ、時には政務さえも疎かになることがありました。今思えば、これは国家にとって良くないことでした。
第六章 安禄山との出会い
天宝年間に入り、一人の男が台頭してきました。安禄山です。
安禄山は、粗野で野心家でしたが、不思議な魅力を持っていました。彼は私に対して「母」と呼びかけ、可愛い子供のように振る舞いました。
「母上、このような献上品をお持ちしました」
安禄山は、しばしば珍しい品々を私に献上しました。私も彼のことを可愛がり、玄宗皇帝に取り入るよう助力しました。これが、後に取り返しのつかない過ちとなることを、当時の私は知る由もありませんでした。
第七章 雲行きの怪しさ
天宝14年(755年)、不穏な空気が漂い始めました。安禄山が反乱を起こしたのです。
「貴妃様、安禄山が范陽で反乱を起こしました!」
この知らせを聞いた時、私の心は凍りつきました。自分が寵愛し、玄宗皇帝に推挙した男が、今や国家の敵となったのです。
宮廷は混乱に包まれました。安禄山軍は次々と勝利を重ね、ついには長安にも迫ってきました。
第八章 馬嵬の悲劇
天宝15年(756年)7月。私たちは長安から蜀への逃避行を余儀なくされました。
馬嵬坡に着いた時、兵士たちが突然反乱を起こしました。彼らは私を指さして叫びました。
「楊貴妃を差し出せ!」
「楊氏一族が国を滅ぼした!」
玄宗皇帝は苦渋の決断を迫られました。私は自分の運命を悟りました。
「陛下、もはやこれまでのようです」
私は最後の別れの言葉を告げ、白い絹の紐を受け取りました。これが私の最期となることを、はっきりと理解していました。
終章 最期の思い
馬嵬坡で命を絶つ直前、私は自分の人生を振り返っていました。
蜀の地で過ごした少女時代。寿王の妃となり、そして玄宗皇帝の寵愛を受けた日々。権力を手に入れ、それを行使した時の快感。そして、それらが招いた悲劇的な結末。
私の人生は、まさに栄華と没落の物語でした。美貌と才気で帝の寵愛を得、権力を手に入れた私。しかし、その権力の行使が、結果として国を混乱に陥れることになったのです。
最期の瞬間、私は思いました。もし、もう一度人生をやり直せるなら…。しかし、それは叶わぬ願いでした。
私、楊貴妃は、三十七年の生涯を、ここ馬嵬坡で終えることになりました。後世の人々は、私のことをどのように語り継ぐのでしょうか。
(了)