Notice: Function _load_textdomain_just_in_time was called incorrectly. Translation loading for the acf domain was triggered too early. This is usually an indicator for some code in the plugin or theme running too early. Translations should be loaded at the init action or later. Please see Debugging in WordPress for more information. (This message was added in version 6.7.0.) in /home/mizy/www/flow-t.net/novel/wp/wp-includes/functions.php on line 6121
楊貴妃 | 偉人ノベル
現在の速度: 17ms
現在の文字サイズ: 19px

楊貴妃物語

アジア世界史
物語の長さ
5分7分12分

第一章 蜀の地にて

私の名は楊玉環。後に楊貴妃として歴史に名を残すことになる女です。私は開元7年(719年)、蜀の地の裕福な役人の家に生まれました。幼い頃から、周りの人々は私の美しさを褒めそやしていました。

「玉環、またひとつ大きくなったわね。あなたの肌は本当に美しい」

母は私の髪を梳きながら、いつもそう言っていました。確かに、鏡に映る私の姿は、白磁のように透き通るような肌をしていました。

私には三人の姉がいました。四姉妹の末っ子として、甘やかされて育ちました。でも、それは決して怠惰な生活ではありませんでした。

「玉環、琴の練習はどう?」
「はい、父上。毎日欠かさず練習しています」

父は教養を重んじる人でした。音楽、詩文、書道。これらの芸事を私たち姉妹に厳しく教え込みました。特に私は音楽の才能があったようで、琴を弾くのが大好きでした。

第二章 寿王の妃として

私が十六歳になった年、思いもよらぬ出来事が起こりました。玄宗皇帝の息子である寿王李瑁の妃として選ばれたのです。

「玉環、これはとても名誉なことだ」
父の声は誇らしげでしたが、どこか悲しみも含んでいました。

長安に向かう馬車の中で、私は自分の運命について考えていました。皇族の妃になるということは、どういうことなのでしょうか。不安と期待が入り混じる中、私は新しい人生への一歩を踏み出しました。

寿王との結婚生活は、それほど長くは続きませんでした。確かに贅沢な暮らしではありましたが、寿王は私にそれほど関心を示しませんでした。そして、思いもよらない展開が待っていました。

第三章 運命の転換

ある日、玄宗皇帝が寿王邸を訪れました。その時、私と皇帝の目が合った瞬間、空気が凍りついたように感じました。

後に私は道士となり、長安の道観に入ることになります。これは表向きの話です。実際には、玄宗皇帝が私に心を寄せ、息子の妃である私を自分のものにするための方便でした。

「玉環、お前を貴妃にしたい」

玄宗皇帝からそう告げられた時、私は複雑な思いでした。息子の妃から父の貴妃になるということは、どう考えても常識では許されないことです。しかし、それは皇帝の意志でした。拒否する選択肢など、私にはありませんでした。

第四章 貴妃となって

開元29年(741年)、私は正式に楊貴妃となりました。玄宗皇帝は当時すでに五十代後半。私はまだ二十代前半でした。

宮廷での生活は、私の想像をはるかに超えるものでした。絢爛豪華な宮殿、数え切れないほどの侍女たち、そして限りない贅沢。しかし、それと同時に、計り知れない重圧もありました。

「貴妃、今日は何を召し上がりたいですか?」

侍女たちは私の一挙手一投足に気を配り、私の望むものは何でも用意されました。特に食事には贅を尽くし、遠く蜀の地からライチを運ばせたこともありました。

しかし、この贅沢な暮らしは、やがて批判の的となっていきます。

第五章 権力の味

私は次第に、自分の立場を利用するようになっていきました。特に、私の一族である楊氏一族の者たちを、次々と重要な地位に就けていきました。

「姉上、これで私たち楊氏の繁栄は確実なものとなりましたね」

私の姉の楊華清に語りかけた言葉です。確かに、楊氏一族は私の影響力によって、かつてない栄華を極めました。しかし、それは同時に、多くの人々の反感を買うことにもなりました。

玄宗皇帝は私に夢中でした。私の言うことは何でも聞き入れ、時には政務さえも疎かになることがありました。今思えば、これは国家にとって良くないことでした。

第六章 安禄山との出会い

天宝年間に入り、一人の男が台頭してきました。安禄山です。

安禄山は、粗野で野心家でしたが、不思議な魅力を持っていました。彼は私に対して「母」と呼びかけ、可愛い子供のように振る舞いました。

「母上、このような献上品をお持ちしました」

安禄山は、しばしば珍しい品々を私に献上しました。私も彼のことを可愛がり、玄宗皇帝に取り入るよう助力しました。これが、後に取り返しのつかない過ちとなることを、当時の私は知る由もありませんでした。

第七章 雲行きの怪しさ

天宝14年(755年)、不穏な空気が漂い始めました。安禄山が反乱を起こしたのです。

「貴妃様、安禄山が范陽で反乱を起こしました!」

この知らせを聞いた時、私の心は凍りつきました。自分が寵愛し、玄宗皇帝に推挙した男が、今や国家の敵となったのです。

宮廷は混乱に包まれました。安禄山軍は次々と勝利を重ね、ついには長安にも迫ってきました。

第八章 馬嵬の悲劇

天宝15年(756年)7月。私たちは長安から蜀への逃避行を余儀なくされました。

馬嵬坡に着いた時、兵士たちが突然反乱を起こしました。彼らは私を指さして叫びました。

「楊貴妃を差し出せ!」
「楊氏一族が国を滅ぼした!」

玄宗皇帝は苦渋の決断を迫られました。私は自分の運命を悟りました。

「陛下、もはやこれまでのようです」

私は最後の別れの言葉を告げ、白い絹の紐を受け取りました。これが私の最期となることを、はっきりと理解していました。

終章 最期の思い

馬嵬坡で命を絶つ直前、私は自分の人生を振り返っていました。

蜀の地で過ごした少女時代。寿王の妃となり、そして玄宗皇帝の寵愛を受けた日々。権力を手に入れ、それを行使した時の快感。そして、それらが招いた悲劇的な結末。

私の人生は、まさに栄華と没落の物語でした。美貌と才気で帝の寵愛を得、権力を手に入れた私。しかし、その権力の行使が、結果として国を混乱に陥れることになったのです。

最期の瞬間、私は思いました。もし、もう一度人生をやり直せるなら…。しかし、それは叶わぬ願いでした。

私、楊貴妃は、三十七年の生涯を、ここ馬嵬坡で終えることになりました。後世の人々は、私のことをどのように語り継ぐのでしょうか。

(了)

"アジア" の偉人ノベル

"世界史" の偉人ノベル

読込中...
現在の速度: 17ms
現在の文字サイズ: 19px